3号ドックの建設とは? わかりやすく解説

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3号ドックの建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:58 UTC 版)

横須賀海軍施設ドック」の記事における「3号ドックの建設」の解説

1号ドック完成後まもなく、明治4年1871年5月には第3号ドック建設開始された。なお1号ドック完成し3号ドック着工され明治4年1871年)、横須賀製鉄所横須賀造船所改称された。 ヴェルニーは当初横須賀製鉄所建設計画で2基のドライドック建設予定していたが、少なくとも3号ドック建設開始時までには3基のドック建設する計画となったものと想定される当時ドライドック建設する場合大中小の3基を建設するのが常識であった。それは19世紀後半成立した海軍艦隊編成理由があった。当時海軍戦艦中心とした編成となり、補助艦船として巡洋艦、そして奇襲攻撃の際などに活躍する駆逐艦などで編成されるようになってきた。従ってその艦隊編成合わせてドック船体大きさ合わせて大中小の3基を建設することが効率的であった当初横須賀製鉄所で2基のみのドライドック建設計画立てられ最大理由資金難であった考えられる。また1号建設終了した後に3号、そして3号建設終わってから2号と、ドック建設順番行われ同時進行されなかった理由も、やはり幕末から明治初期にかけての深刻な財政難加え労働力不足影響大きかったものと推察されている。 3号ドック1号ドック西側建設されたが、両ドックの間がかなり開いており、そこに2号ドック建設されることになる。これは明らかに3つのドック並べて建設し、しかも最大ドックとなる2号ドックを3基のドック中央とする計画存在したものといえる。それは1号ドック2号ドックの間と、2号ドック3号ドックの間にポンプ室設置して最大ドックである2号ドック船舶入渠時には両方ポンプ同時に使用して効率的な排水を行う仕組みとするためであったこのような点から、3号ドック建設開始時には3基のドック並べて建設する計画があったものと推定される現状でも2号ドックポンプ室は、1号との兼用ポンプ1号ドックとの間に、3号との兼用ポンプ3号ドックとの間に2つ設けられている。 3号ドック設計者1号ドック同じく、ヴェルニーとL.F.フロラン考えられている。なお施工指導はL.F.フロランの弟であるV.C.フロランが行った。V.C.フロラン第3号ドックでの施工指導評価され3号ドック完成直後工事開始された、長崎市工部省長崎造船所1号ドック設計を行うことになった。なお3号ドック明治7年1874年1月完成している。 V.C.フロラン設計担った長崎造船所第1号ドック明治12年1879年)に完成するまで、日本ドライドック横須賀1号3号ドックしかなかった。そのため多く明治政府軍艦修復請け負うこととなったが、商船修理行っていた。当時ドック修理需要極めて高く半年待ちとなることもあった。1号3号ドックの後に2号ドック建造することは、計画されていたことと考えられるとはいえ1号3号ドック需要の高さも2号ドック建造開始理由となった3号ドック工事では、1号ドック異なりセメント代が低額となっている。これは1号ドックでは主に輸入品ポルトランドセメント使用したものが、3号ドックでは石灰などを用いてセメント現地生産行ったものと考えられるドック用いられ石材については、1号ドック同じく真鶴から熱海周辺採石された安山岩質の新小松石用いている。また1号ドックよりも小型全長90メートル3号ドック建造では、工事中締切堤1号ドック建造の際より簡略なものであり、またドック底や側面厚さ1号ドックよりも小さいと推定されるなど、小型ドックであったことによる違い見られる3号ドック特徴としては、まず1号ドックでは行われなかったドック底面傾斜つけられたことが挙げられる。しかし今度傾斜が急すぎたようで、次に建造され2号ドックでは3号ドック底面につけられ傾斜約半分となった続いてドック入り口部分に扉船を繋ぐ戸当りが2か所設けられたことが挙げられる。これはドック入渠する船舶大きさによって扉船の位置変え排水量少なくして作業効率化図ったものと考えられている。そして扉船を繋げ戸当りが2か所あるドライドックは、3号ドックの後、各地建設されるうになる。 また3号ドックでは、ドックの奥の部分半円形をしており、また斜路設けられていることも特徴として挙げられる当時ドライドックドックの奥の部分半円形ないし尖頭アーチ形となっていた。これは船体形状合わせることによって無駄な空間出来る限り少なくし、艦船ドック入りの際に必要とされる排水量を減らすことと、もしドック奥を矩形とした場合ドック奥の部分側面との間に角が出来ることになるが、石造ドック場合、角を構築することが技術的に難しかったため、角が生じない半円形ないし尖頭アーチ形採用した考えられている。後年ドライドックコンクリート建造されるうになると、半円形尖頭アーチ形コストがかかるためドック奥は矩形採用するようになった。 またドック奥に斜路設けられ理由は、クレーンなどの重機発達していなかった19世紀後半船舶修理必要な資材を、ドック奥に設けられ斜路滑らせドック底に降ろすためである。1号ドック当初ドック奥は半円形をしており、斜路設けられていたが、昭和10年1935年)から昭和11年1936年)にかけて延長された際、コンクリート製となった延長部分の奥は矩形となり、クレーン発達した昭和時代には斜路必要性無かったために斜路設けられなかった。3号ドック明治7年1874年)の完成以降風化した石材コンクリートによる補修が行われたのみで大きな改修行われておらず、ドック完成時の形のまま現在も用いられており、建設当時の姿を残しているドライドックとしては日本最古のものであり大変貴重といえるドック付帯設備としては、現在の3号ドックポンプ室は2号ドック兼用であり、現在の2号3号兼用ポンプ室昭和16年1941年竣工のものとの記録残っている。

※この「3号ドックの建設」の解説は、「横須賀海軍施設ドック」の解説の一部です。
「3号ドックの建設」を含む「横須賀海軍施設ドック」の記事については、「横須賀海軍施設ドック」の概要を参照ください。

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