24時間耐久鬼ごっこ(2000年春)浜田チーム(浜田・山崎・ココリコ)
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「松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム」の記事における「24時間耐久鬼ごっこ(2000年春)浜田チーム(浜田・山崎・ココリコ)」の解説
100メートル走対決(1999年10月17日放送)に負けた浜田チーム(浜田・山崎・ココリコ)に対する罰ゲーム。東京・品川区にある日産スポーツプラザ(現・コナミスポーツクラブ本店)でロケが行われた。24時間を体育館の中で過ごし、メンバーは中心に設置された四畳半の畳とこたつが置かれた場所で待機する。不定期に現れる黒タイツを着た鬼が登場したら鬼ごっこスタート。鬼に捕まると、胸に書かれた様々な罰ゲーム(タイキック、ビンタ、チ○コマシーン、ひしゃく、バレーボールマシーン、ロウ責め、紙しばい・おしり・ワンタンメン・はり手等)を受ける(罰ゲームには『卒業証書』も存在するが、不発に終わる)。一定時間鬼から逃げ切る事ができれば、罰を受けなくてもよい。ちなみに、罰ゲームの種類によって鬼が1人、又は2、3人以上(その他子供や松本が鬼になる場合もある)が現れる。鬼は基本的に体育館内に設置された黒いステージから大音量の炭酸ガスとともに登場するが、稀に体育館のステージや体育館入口、映画(浜田主演の「昭和鉄風伝 日本海」)を観ている際にスクリーンを破って出てきたりもした。また、鬼に捕まらないよう守ってくれる白タイツを着た「おたすけマン」も登場するが、実は中に黒タイツを着た鬼(ジャイアントスイング)である。1999年9月12日放送のオープニングとして行われた企画「激走!泣く子も黙る恐怖の鬼ごっこ大会」が、この罰ゲームの元となっている(この時は、浜田チームの4人以外にも松本・雨上がり決死隊・リットン調査団が参加。ひしゃく、顔面ねりわさび、チ○コ薬、博多ラーメン、ケツコットンの罰が行われた)。 罰ゲームの進行役として藤原寛マネージャー(当時。現吉本興業株式会社代表取締役副社長)が初めて同伴する。 精神的・肉体的にも番組史上最も過酷な罰ゲームとの呼び声が高い。特に鬼が登場する際に勢いよく、しかも何の前触れもなく大音量を伴った炭酸ガスが噴射される為、ゲーム中は些細な音でもとても鋭敏に反応するようになり、藤原が登場する出囃子や浜田のすかしっ屁でも尋常でない程のビビリ様を見せた。後日談で山崎・田中・遠藤は、罰ゲーム中に浜田が怒って罰ゲームが途中で終了になるのを何度も願っていたと語る程。一方の浜田はこの罰ゲームによる疲労が甚大だった為、終了後しばらく仕事ができなかったと語っている(2001年5月27日放送分のトークにて)。なお、4人にとってこの罰ゲームは施行から10年以上経った現在でもトラウマとなっている様子が度々見られる。罰ゲームの模様は2000年3月26日・4月2日・9日と3週に渡り放送され20世紀最後の罰ゲームとなった。 またここでもヘイポーのヘタレキャラが炸裂。鬼のはずが登場後に舞台から転げ落ちたり、メンバーによってたかってシバかれたり、持っているパイを奪われ逆にパイを食らうなどの返り討ちに遭い、浜田チームはもちろんの事、ヘイポーも散々だった。なおこの罰ゲームで唯一パイを食らったのは山崎で、1人でトイレに行ったところを一気に3人の鬼にパイ3連発を食らってしまった。DVD・Blu-ray共に第1巻として発売されており、ガキ使シリーズのDVDでは売上第3位にランクインしている。 罰ゲーム中浜田は、松本からの差し入れ(カップラーメン・肉まん・ソーセージ)を不当に分けられたり、就寝時の布団も小さく汚いものを宛がわれる等終始扱いが悪かった。後々の「笑ってはいけないシリーズ」の浜田に対する不当な扱いの発端となっている。 また、2010年大晦日の「絶対に笑ってはいけないスパイ」と、2013年大晦日の「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍」以降、これが下地となった「捕まってはいけない」というゲームも行われた。特にスパイでは、鬼が登場する舞台が現れるなり、松本以外の4人は口々に痛めつけられた事を思い出していた。なお、松本は、何れの回も鬼ごっこには参加していない(スパイでは、手術後間もない事から逃走するのが困難だった為。地球防衛軍以降は、人質となり別の罰を受けた為)。
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