2013年の和平交渉再開とその行き詰まり
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「ガザ侵攻 (2014年)」の記事における「2013年の和平交渉再開とその行き詰まり」の解説
イスラエルとパレスチナ自治政府は、2013年7月29日より和平交渉を再開した。イスラエルは自治政府側の要求を受け入れ、パレスチナ人受刑者104人の釈放を4回に分けて行うことを約束した。8月13日には、最初の26人を釈放した(最終的に78人釈放され、最後の26人はイスラエル側が拒否)。一方、パレスチナ自治区領であるヨルダン川西岸地区での入植活動も並行して推進した。8月13日には、パレスチナ人受刑者釈放と共に、東エルサレムで新たに入植住宅942戸の建設を承認した。8月27日、ヨルダン川西岸・カランディアの難民キャンプでイスラエル国防軍とパレスチナ人難民が衝突し、パレスチナ人3人が殺害された。 10月22日、イスラエル国防軍はヨルダン川西岸のビリン村での作戦中に銃撃戦となり、イスラーム聖戦メンバーの男を射殺したと発表した。男はテルアビブの路線バス爆破計画の被疑者の一人だったという。11月1日、イスラエル国防軍はハマースがイスラエルに侵入するために掘ったトンネルの破壊中、ハマース側と交戦し戦闘員4人を殺害、イスラエル兵5人が負傷したと発表した。12月24日、イスラエル国防軍は分離壁の作業員がパレスチナ人に殺害された報復として、ガザ地区を空襲し女児1人を殺害した。また、空襲に先立ち男1人を射殺した。作業員殺害は、ハマースに近いとされるパレスチナ民衆抵抗委員会が犯行を認めた。 2014年1月10日、イスラエル住宅・建設省は新たにユダヤ人入植地に1877戸の建設業者を決める入札を実施すると発表した。これは安保理決議違反であるが、欧米諸国からの批判に対しても、ネタニヤフ首相は「偽善」と意に介さなかった。3月12日、ガザ地区のイスラーム聖戦がイスラエルをロケット弾で攻撃し、イスラエルは報復としてガザを空襲した。3月13日も双方の攻撃は続いた。4月21日にもガザ地区からロケット弾攻撃があり、イスラエルは報復としてガザを空襲した。 4月29日、パレスチナ自治政府との和平交渉期限が来たが、何もまとまらなかった。5月15日には、ヨルダン川西岸のイスラエル国防軍支配地域でパレスチナ人によるデモがあり、イスラエル国防軍の弾圧で2人の死者が出た。 一方、パレスチナの政権は、ヨルダン川西岸地区を実効支配するパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハと、ガザ地区を実効支配するハマースとの間で分裂状態が続いていた(ほとんどの国家は、ファタハの政権を承認している)。[要出典] ハマースはイスラエルとの和平交渉自体に反対していたが、情勢は以前より悪化していた。もともと、イスラエルは軍事転用を理由に建築資材などの導入を制限していたため、復興は遅々として進まなかった。 和平交渉再開に先立つ2013年7月3日、エジプトは軍部のクーデターがムルシー政権を打倒し、シーシーを中心とする軍部が実権を握った。エジプトはサーダート、ムバーラクと親イスラエル政権が続き、イスラエルのガザ地区封鎖に協力していた。2011年のエジプト革命でムバーラク政権が打倒されムスリム同胞団・自由公正党のムルシーが大統領に当選すると、ムルシー政権はハマースへの経済制裁を緩和した。ハマースの母体はムスリム同胞団であり、ムルシー(モルシ)政権はハマース幹部のハニーヤ(ガザ政府首相)、マシャアル政治局長(代表)らと相次いで会談し、イスラエル一辺倒では無くなった。しかし、軍部のクーデターが起きるとエジプトは親イスラエル路線に戻った。ムルシー政権もハマースの作った密輸トンネルを破壊する対応を取っていたが、エジプト軍部はムスリム同胞団に連なるハマースを敵視し、密輸トンネル破壊を徹底し、検問所の規制を強化した。また、ハマースはイランから多額の援助を受けているが、シリア内戦を巡って両者に溝ができた。ハマースは反体制側支持に転じ、イランは一貫してアサド政権を支持しているからである。そのため、イランの支援は月1億ドル程度から1500万ドル程度に縮小されていた。この状況でエジプト軍事政権の経済制裁強化を受けたため、失業率は27%から44%に上昇、停電時間は1日8時間から12時間に増え、ハマースは職員の給与を分割払いにするほど困窮した。
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