2009年からの外務省内部調査
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「日米核持ち込み問題」の記事における「2009年からの外務省内部調査」の解説
2009年6月1日、共同通信と関係のある地方紙は、核搭載船の日本寄港に関するスクープ記事を発表した。それらの記事で、各紙は、匿名の外務次官経験者へのインタビューをもとに、「有事の際に核再持ち込みを日本政府が認める」という内容の密約(核密約)が存在する、と主張し、核密約への疑惑が再燃した。これに対し、同年6月5日、麻生内閣の外務大臣である中曽根弘文は、国会での答弁で核密約の存在を否定した。 2009年9月16日に鳩山由紀夫内閣で外務大臣となった岡田克也は、密約について調査し11月末を目途に公開するよう外務省に命令した。ここで、調査の対象となった密約は4項目であり、そのうち2つが日米間の核持ち込みに関するものである。 1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」 同じく、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」 1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みに関する「密約」 同じく、沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」 この調査命令に関し、同年9月18日、来日していたアメリカ合衆国東アジア・太平洋担当国務次官補のカート・キャンベルは、持込みに関する密約は事実存在し「非核三原則」は有名無実である旨言明した。 この調査命令の結果、同年9月25日に外務省内に調査班が、同年11月27日に北岡伸一をはじめとする省外の有識者委員会が発足した。そして2010年3月9日、外務省と有識者委員会は「いわゆる「密約」問題に関する調査結果」として、まとめられた調査の内容を公表した。 2010年(平成22年)3月に発表された日本の外務省調査委員会は明文化された日米密約文書はないとしながらも、日本の政府高官が核の持ち込みの定義が日米間で不一致であることを知りながらも米国に核の持ち込みの定義の変更を主張していないことなどを理由に、核の持ち込みについて広義の密約があったと結論付けた。 日米政府の公文書公開により、寄港などの形で核持ち込みを知っていた政府高官は以下の通り。内閣総理大臣経験者として岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一、橋本龍太郎、小渕恵三。外務大臣経験者として愛知揆一、木村俊夫、鳩山威一郎、園田直、大来佐武郎、伊東正義、桜内義雄、安倍晋太郎、倉成正、三塚博、中山太郎。内閣官房長官経験者として二階堂進。 外交官の東郷文彦が「核密約」を構想したといわれる。 第2次安倍内閣発足後の2014年(平成26年)1月31日、首相安倍晋三は衆議院予算委員会で密約について岡田の指摘を受け「政府が否定し続けて来たのは誤りだった」と、密約の存在を正式に認め、国民が「理解し得るかどうか、という中での判断だったのだろう」と答弁した。
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