2009年に倒壊した文書館
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「ケルン市歴史文書館」の記事における「2009年に倒壊した文書館」の解説
2009年3月3日午後1時58分、文書館は倒壊した。この大惨事の原因はケルンLRTの地下鉄新線工事が関係していると考えられている。地下の分岐設備を作っていた建設作業員は、建設中の穴から出水があったと報告した。その後、文書館職員と利用者に、文書館から速やかに退避するように警告した。その直後、地下鉄のトンネルが陥没し文書館が倒壊した。近所のアパート2棟も倒壊し、2人が死亡した。 倒壊した書庫館には中世のヴァルラフコレクションなどの重要な文書類が保存されていた。文書類の約90%が、倒壊した文書館に埋まってしまった。映画や写真のような主に地下の読書室に保管していた他の収蔵品と4万件に及ぶ法令集は、避難できた。その他の外部委託していた少数の記録類は、倒壊の被害を免れた。フゴ=シュテーケンパー前館長によると、12世紀からの「聖堂憲章」80点、印章、殆どの目録は、被害を免れ、そっくりそのまま残っている。
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