2001年 - 2002年:活動休止とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 2001年 - 2002年:活動休止の意味・解説 

2001年 - 2002年:活動休止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:55 UTC 版)

鈴木亜美」の記事における「2001年 - 2002年:活動休止」の解説

1999年7月、エージーコミュニケーション(以下、エージー)の社長経営コンサルタント会社ネオギルドから他の芸能事務所と共に法人税脱税指南受けたとして、同社に対して東京国税局国税専門官査察が行われる。これを受け、エージー社長脱税公になった時の所属タレント風評被害躱す意図から専属契約部分系列会社のミュージック・トライブへ名目上移籍させ、1999年10月から専属契約締結した(後の訴訟での陳述公にされた)。2000年2月脱税指南をした経営コンサルタント逮捕され東京国税局2000年3月エージー社長らを東京地方検察庁告発同年7月エージー社長らが法人税法違反法人所得過少申告により約2億5千万脱税容疑逮捕される事件となった2001年執行猶予有罪判決確定)。これにより芸能活動多忙極めた鈴木側と芸能事務所の間に大きな溝が生まれ2000年10月26日鈴木の父は専属契約更新しない通告した2000年12月には脱税事件により信頼関係崩壊したとして、所属事務所マネジメント契約結んだエージーコミュニケーションおよび専属契約結んだミュージックトライブに対して契約終了確認」とレコード会社広告代理店などから事務所支払われた大もとの「契約出演料明細交付」を求め鈴木本人親権者である両親東京地裁民事訴訟提起した委任契約終了確認請求事件当時鈴木18歳未成年であった為)。 訴訟提起後もデジタルドリームライブ第51回NHK紅白歌合戦鈴木あみのアイドルダウンロードショーなどの出演こなしたものの、主演内定していた2001年4月からのテレビドラマ新・星の金貨」は降板し、出演者変更のため2話短縮放送開始繰り下げ)される事態発生した訴訟で「新・星の金貨」は事務所レコード会社勝手にオファー受けたなどと代理人陳述)。小室エージー社長懇意にしていたこともあり、小室紆余曲折経てエイベックス所属するまでは音楽上の関わりあいが断たれることになったマスメディアからは独立騒動お家騒動)と受け止められていたが、2001年3月8日日刊スポーツ一面鈴木引退危機追い込まれていた事を報じていた。CMなど出演契約満了した2001年4月以降出演契約の締結更新など芸能活動不可能となり、実質引退状態に追い込まれることとなった。この時点では所属契約解除されていないため、CD・ビデオ書籍廃盤絶版扱いはならず従来通り商品入手が可能であった。 この事態受けて2001年3月末ファンインターネット上でデビュー曲である『love the island』を大量に購入しオリコンランクインさせるという行動呼びかけた。オリコンチャートトップ10にこそランクインしなかったものの、その活動受けてTRUE KiSS DiSCSMEJ)は2001年5月末に急遽ベスト・アルバムFUN for FAN』を発売オリコンアルバムチャート1位を記録したまた、同時にファンサイト内で鈴木復帰求め署名活動実施国内だけでなく、台湾からも多く署名集められた。 しかしながらSMEJとの専属実演家契約はプロミュージシャンでは慣例となっている芸能プロダクション(エージーコミュニケーション・ミュージックトライブ)を交えた三面契約締結していた(CDギャランティー芸能プロダクション支払われ経費差し引いてアーティスト渡される)ことから、『FUN for FAN発売後の同年6月SMEJに対して所属事務所同様の契約終了確認」および「実演家印税支払い明細交付」を求めて新たに東京地裁民事訴訟提起した専属実演家契約終了確認請求事件)。この訴訟では『FUN for FAN発売レコード会社によって勝手に行われ売上対す印税受け取っていないと鈴木側は主張している(SMEJ所属事務所支払っていると主張)。 2001年7月18日委任契約終了確認請求事件判決で、東京地裁金井康雄裁判長)はエージーコミュニケーション、ミュージックトライブとの「契約終了」については鈴木側の主張認め、「明細開示」については認めないとした。上告しなかったことから所属事務所との契約終了については確定法的上、歌手以外の活動事務所から独立してフリーランスになった。しかしSMEJとの訴訟係争中のままであり、受け入れ新たな事務所無く芸能活動停止したままとなった。なお、一連の訴訟には鈴木本人は姿を見せなかった。 2002年1月6日女性週刊誌スポーツ紙記事小室哲哉繋がり吉本興業所属し、春を目処R and C JapanからCD発売報じられた。2月には林裕章吉本興業社長契約交渉詰めている事を認めたが、4月15日吉本新喜劇記者会見後の取材鈴木側の弁護士と話がつかないとして静観していると発言し、自然消滅となった

※この「2001年 - 2002年:活動休止」の解説は、「鈴木亜美」の解説の一部です。
「2001年 - 2002年:活動休止」を含む「鈴木亜美」の記事については、「鈴木亜美」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「2001年 - 2002年:活動休止」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2001年 - 2002年:活動休止」の関連用語

2001年 - 2002年:活動休止のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2001年 - 2002年:活動休止のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鈴木亜美 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS