1991年-2002年、レンショウによるプロダクション
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「王様と私 (ミュージカル)」の記事における「1991年-2002年、レンショウによるプロダクション」の解説
1991年、オーストラリアにて、オリジナル公演から離脱した新解釈の再演が行なわれ、クリストファー・レンショウが演出を務め、トニー・マリニョが王様役、ヘイリー・ミルズがアンナ役を演じた。レンショウは記録されていた演出法を全く無視し、レンショウが考える「真のタイ王国」に近づけるようにした。装置はエレガントさが減って暗くなったが、アンナと若い王様が際立つようになった。アンナと王様の関係性はよりわかりやすくなった。レンショウは「台詞や歌詞をいくつかカットし、外国の雰囲気を強調するためタイの言葉にしたものもある」とし、アジア人役は全てアジア人俳優が演じた。レンショウはラー・ラボヴィッチに第1幕の王様登場シーンと第2幕の白い象の登場シーンのロビンスの振付をスピリチュアル・バレエに作り替えるよう頼んだ。レンショウによると「宮殿では赤や金色がとても印象的」となり、装置、衣裳関係はバンコクの宮殿などのイメージ、建築などのデザインの影響を受けていた。例えば舞台は象をかたどった柱で囲み、第1幕に大きなエメラルド仏が登場し、あちこちに数多くの象のイメージがちりばめられた。レンショウは「象はとても神聖なものであり、タイの国民たちは仏の化身だと信じている」と語った。 スタンリー・グリーンは自著『Encyclopedia of the Musical Theatre 』の中で、「『王様と私』は民族や文化の違う人々との相互理解の重要性」が中心テーマと記したが、レンショウは1950年代の「特定の文化の真の理解というよりも、異国趣味として使用されるオリエンタリズム」であると感じていた。このプロダクションはレンショウが実際訪れたタイの真の文化、美観、宗教観として宣伝された。『プレイビル』誌は「東洋対西洋のイデオロギーと文化のぶつかり合い」と記した。芸術学教授アイリーン・ブルメンタルは「ポリティカル・コレクトネス世代の作品」と語った。ブルメンタルは『王様と私』におけるアジア文化の扱いは初演から半世紀近く心無い理解をされているとする一方、ロジャースとハマースタインの脚本自体は「東洋が西洋から学ぶのと同様、西洋も東洋から学ぶ」とし、アジアの主題の扱いは作り事であって現実的ではないとの前提であり、この頃のオリエンタリスト文学の中では最も気配りがされているとしている。ブルメンタルは『王様と私』は西洋人なら誰にでも起こりうる話であり、佳作であるため上演をやめるべきではないと語った。 1996年4月11日、ブロードウェイにあるニール・サイモン劇場で再演され、ドナ・マーフィーがアンナ役を演じてトニー賞を受賞し、ルー・ダイアモンド・フィリップスが王様役を演じた。ランドール・ダク・キムがクララホム首相役、ホセ・ラナがルン・タ役、ジョヒー・チョイがタプティム役、イー・キムがチャン王妃役に配役された。ジェナ・アウシュコウィッツが子役の1人としてブロードウェイ・デビューした。トニー賞において8部門にノミネートされ、再演ミュージカル作品賞のほか3部門を受賞した。トニー賞にノミネートされたフィリップスとチョイは、シアター・ワールド賞を受賞した。またドラマ・デスク・アワードにおいて7部門にノミネートされ、再演ミュージカル作品賞を受賞し、レンショウは演出賞を受賞した。衣裳デザインのロジャー・カーク、装置デザインのブライン・トンプソンはそのデザインの豪華さを称賛され、トニー賞およびドラマ・デスク・アワードの両方を受賞した。後期にアンナ役がフェイス・プリンスに交代し、その後マリー・オズモンドが後継し、王様役はケヴィン・グレイに交代した。このブロードウェイでの再演は780回上演された。その後全米ツアー公演を行ない、ミルズがアンナ役、ヴィクター・タルマッジが王様役を務めた。このツアーでのアンナ役にはほかにオズモンド、サンディ・ダンカン、ステファニー・パワーズが配役され、1998年6月、シカゴにてアンナ役はモウリン・マガヴァンが務め閉幕した。 2000年5月3日、ロンドン・パラディウムにて開幕し、カークとトンプソンのデザインを使用してレンショウが演出、ラドヴィッチが振付を行なった。前売りチケット売り上げ£800万と報じられた。エレイン・ペイジがアンナ役、ジェイソン・スコット・リーが王様役、ショーン・ガジがルン・タ役、ホー・イーがクララホム首相役に配役された。テウォン・イー・キムがチャン王妃役を再演し、『オブザーバー』は「何か光るものを持っている」と記した。ローレンス・オリヴィエ賞のミュージカル作品賞にノミネートされた。上演期間後期、王様役はリーからポール・ナカウチに交代した。代役はアンナ役にジョシー・ローレンス、王様役にキオ・ウルフォード、クララホム首相役にサイード・ジャフリーが配役された。この公演はおおむね好評であった。『デイリー・ミラー』紙は「昨夜の『王様と私』再演は大成功であった」と記した。『デイリー・エクスプレス』紙は「好き嫌いに関わらず、『王様と私』のヒットは止められない」と記した。しかし『バラエティ』誌は王様とアンナの間の感情に欠けるとし、「チャン王妃が大絶賛される一方、シャムの何かが誤って描かれている」と記した。2002年1月5日、閉幕した。
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