1972年(昭和47年)以降の動向や改造など
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1975年ごろに、全車の客室側扉を、鋼製で窓ガラス支持方式が黒Hゴムのものから、アルミ製でHゴム支持を廃したもの(室内側は壁面同色に塗装)に変更した。 更新直後は、上野駅 - 千葉駅(現在の千葉中央駅)間の快速などに使用されることもあったが、750系が消滅した1974年(昭和49年)以降、発電ブレーキを装備しない青電形式は、4両特別運用枠に入り運用(一部の急行や特急など優等運用もあった)。成田空港駅が開業した1978年(昭和53年)5月以降は、青電専用の4両特別運用枠は普通運用必須となり、以後青電形式が優等運用に就いた実績は、ダイヤ乱れ時を含めない。 1980年(昭和55年)2月の2106編成を皮切りに、青電塗装から赤電形式(3000 - 3300形)同様にファイアーオレンジにモーンアイボリー帯への塗装変更を開始した。なお、帯部分はカラーフィルムタイプで、赤電形式特有のステンレスの縁取りは省略した。塗装変更は1981年(昭和56年)10月の2104編成を最後に完了した。その間、1980年3月末に釣掛車500形・200形は青電塗装のまま全廃されたことと、行商専用車に使用された700形3両が1981年度末(1982年3月ごろまでに)で除籍されてから青電形式は以上の20両のみになった。よって、青電塗装の一般営業車は消滅した。500形・200形の全廃に伴い、京成は関東地方の大手私鉄で最初に営業用車両全車のカルダン駆動化を達成した。 塗装変更後も、本線・金町線・千葉線普通に4両特別運用枠(普通B速度)で使用された。自動ブレーキで加速性能も、3000番台各形式より劣るため、ラッシュ時に使用される機会は少なくなっていた。 軽微な改造としては、1984年(昭和59年)9月から1985年11月に側面客用扉開閉確認灯が2灯化され、ケースも円形のものから一体化されたカプセル形とされたこと、それと前後する形で室内のアルミ製塗装仕上の乗務員仕切扉窓支持方式が、黒Hゴムから金属押さえ金に変更された。 1984年秋に2109のみ側面客用扉をステンレス製のものに交換した。
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