1972年以降の動向や改造などとは? わかりやすく解説

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1972年(昭和47年)以降の動向や改造など

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 10:23 UTC 版)

京成2100形・210形・2000形電車」の記事における「1972年昭和47年以降の動向改造など」の解説

1975年ごろに、全車客室側扉を、鋼製窓ガラス支持方式が黒Hゴムのものから、アルミ製でHゴム支持廃したもの(室内側は壁面同色塗装)に変更した更新直後は、上野駅 - 千葉駅現在の千葉中央駅)間の快速などに使用されることもあったが、750系が消滅した1974年昭和49年以降発電ブレーキ装備しない青電形式は、4両特別運用入り運用一部急行特急など優等運用もあった)。成田空港駅開業した1978年昭和53年5月以降は、青電専用の4両特別運用は普通運必須となり、以後青電形式優等運用就いた実績は、ダイヤ乱れ時を含めない。 1980年昭和55年2月の2106編成皮切りに青電塗装から赤電形式3000 - 3300形同様にファイアーオレンジにモーンアイボリー帯への塗装変更開始した。なお、帯部分はカラーフィルムタイプで、赤電形式特有のステンレス縁取り省略した塗装変更1981年昭和56年10月の2104編成最後に完了したその間1980年3月末に釣掛車500形200形青電塗装のまま全廃されたことと、行商専用車使用され700形3両が1981年度末(1982年3月ごろまでに)で除籍されてから青電形式は以上の20両のみになった。よって、青電塗装一般営業車は消滅した500形200形全廃に伴い京成関東地方大手私鉄最初に営業用車両全車カルダン駆動化達成した塗装変更後も、本線金町線千葉線普通に4両特別運用(普通B速度)で使用された。自動ブレーキ加速性能も、3000番台各形式より劣るため、ラッシュ時使用される機会少なくなっていた。 軽微な改造としては、1984年昭和59年9月から1985年11月側面客用開閉確認灯が2灯化されケース円形のものから一体化されたカプセル形とされたこと、それと前後する形で室内アルミ塗装仕上乗務員仕切扉窓支持方式が、黒Hゴムから金属押さえ金に変更された。 1984年秋に2109のみ側面客用扉をステンレス製のものに交換した

※この「1972年(昭和47年)以降の動向や改造など」の解説は、「京成2100形・210形・2000形電車」の解説の一部です。
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