一般営業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/06 03:43 UTC 版)
湯本 - 小名浜間で一般営業を開始した磐城炭礦軌道線は大幅に減少した貨物輸送に対して、旅客輸送は好調で収入の7割から8割を占めるようになった。1922年には動力を蒸気に変更する計画を立てたが、併用軌道であることから沿線住民から交通事故や家屋への火災の恐れにより反対運動がおこり計画は断念せざるをえなかった。しかしその後関東大震災で市内交通に被害を受けた東京市がアメリカから輸入したT型フォード自動車(円太郎バス)に目を付け、15両払下をうけた。その内5両は軌道用に10両はトラックに転用し、1925年ガソリン動車の運転を開始した。この転換により1927年度には年間20万人を運び過去最高となった。ただその後乗合自動車の進出により乗客は減少することになるが、本業の炭礦は好調であり廃止されることもなく生き延びていた。だがそれも長くはなかった。太平洋戦争により石炭増産を強いられるなか、炭礦では金属など物資不足が深刻となっていた。そしてこの軌道線の資材を転用することとなり遂に1944年6月5日に廃止されることとなった。
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