新奉線
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1905年2月28日 - 日本軍、新民屯を占領。現地中隊により手押式軽便鉄道建設開始。 4月11日 - 馬三家-老辺間開業。 4月19日 - 奉天-馬三家間開業。 4月29日 - 老辺-高力屯間開業。 4月30日 - 高力屯-遼河左岸間開業。 7月15日 - 「臨時鉄道大隊」が建設・運営を引き継ぐ。 9月 - 遼河左岸-新民屯間開通、全通。動力を蒸気に変更。 1906年1月4日 - 一般営業開始。 2月20日 - 野戦鉄道提理部に譲渡。
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新奉線
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営業区間:奉天-新民屯 路線距離(営業キロ):59.8km 軌間:600mm→1067mm 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし 路線名に関しては「新民線」もしくは「新民屯線」とする文献もある。当線の奉天駅も本線の奉天駅とは位置が異なっていた。
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新奉線
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当線については敷設から提理部時代にも時刻表に掲載されたことがなく、また各種記録にもデータがほとんど残されていないため、その実態は安奉軽便線以上に不明である。 記録に残る限りでは、1907年に南満州鉄道に引き継がれた際の運転本数は4往復で、運賃は全線で1円であった。 なお旧東清鉄道線と異なり、こちらは同じ一般営業でも「乗車」ではなく「便乗」の扱いであった。このため乗車の際には事前に兵站で「便乗許可証」を提出し、引き換えに「便乗券」を発行することになっていた。貨物の場合も事前許可が必要であった。
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新奉線
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新奉線は軌間600ミリの軽便鉄道であり、改軌まで専用車両が用いられた。改軌後は旧東清鉄道線の車両が入った。ただしその形式について詳しいことは分かっておらず、建設した臨時鉄道大隊の保有していた車輛や記録類から以下の形式が使用されていたことが推測され得るにとどまる。 AB形(1AB - 5AB) 改軌前に使用されていたと考えられる機関車。1901年にドイツのクラウス社で製造されたもので、当時鉄道隊が保有し、臨時鉄道大隊が持ち込んでいた。A・B2両のC形タンク機関車を背中合わせに連結して1両とした「双合機関車」と呼ばれる特殊構造の機関車であった。車輛諸元などについては「日本陸軍鉄道連隊A/B形蒸気機関車」を参照のこと。 B6形(407, 409, 410) 改軌後に入ったと考えられる機関車。旧東清鉄道線からの転属である。上述「旧東清鉄道線」の節の「B6形」参照のこと。
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