1950年から1999年まで
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「宇宙論の年表」の記事における「1950年から1999年まで」の解説
1950年 - フレッド・ホイルがビッグバンの語をつくり嘲った。 1961年 - ロバート・H・ディッケがはじめて弱い人間原理を用いた。 1965年 - ハンス・アルヴェーンはバリオン非対称性を説明するために無視されているプラズマを提案した。 1965年 - w:Martin Rees, Baron Rees of Ludlowとw:Dennis William Sciamaはクエーサー源の数の解析によりクエーサーの密度が赤方偏移が大きくなるにつれて増加していることを発見した。 1965年 - ベル研究所のアーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンは2.7Kのマイクロ波背景放射を発見した。それにより1978年にノーベル物理学賞を受賞した。 1966年 - スティーヴン・ホーキングとジョージ・エリスはもっともらしい相対論的宇宙は特異点を持つことを示した。 1967年 - w:Jim Peeblesが熱いビッグバン模型がヘリウム存在量を正しく予言することを示した。 1967年 - アンドレイ・サハロフがバリオン生成の条件としてバリオンと反バリオンの非対称性を提唱した。 1967年 - ジョン・バーコール、ウォーレス・サージェントとマーテン・シュミットは3C191のスペクトル線の微細構造を測定した。そして、微細構造定数が時間によって変化しないことを示した。 1968年 - w:Brandon Carterは宇宙が存在するためには自然の基本定数はある限られた範囲に存在しなくてはならないと推測した。 1969年 - w:Charles W. Misnerはビッグバンの地平線問題を提唱した。 1969年 - ロバート・H・ディッケはビッグバンの平坦性問題を提唱した。 1973年 - w:Edward Tryonは宇宙は巨大なスケールの量子力学的な揺らぎだろう。正の質量エネルギーが負の重力ポテンシャルエネルギーとつり合っているだろうと提案した。 1974年 - Robert Wagoner、ウィリアム・ファウラーとフレッド・ホイルが熱いビッグバン理論は重水素とリチウム正しい存在量を予言していることを示した。 1976年 - Alex Shlyakhterがガボン、オクロの天然原子炉のサマリウムの比からいくつかの物理法則が20億年変わっていないことを示した。 1977年 - Gary Steigman、w:David Schrammとジェームズ・E・ガンが原始ヘリウム存在量とニュートリノの比の関係を検証し、5つのレプトンファミリーが存在できると主張した。 1981年 - Viacheslav Mukhanov と G. Chibisovが量子的な揺らぎが大規模なインフレーションを導くことを提唱した。 1981年 - 佐藤勝彦、アラン・グースがインフレーションビッグバン模型を提唱した。それは地平線問題と平坦性問題を解決できるものであった。 1990年 - アメリカ航空宇宙局のCOBEの補助的なミッションの結果は宇宙マイクロ波背景放射が10-5の驚く精度で測定され、等方的な黒体輻射であった。 1990年代 - 地上での宇宙マイクロ波背景放射観測実験が一つのピークを測定する。宇宙が幾何学的に平坦と認められた。 1998年 - 宇宙の寿命により微細構造定数が変化する最初の証拠が発表された。 1998年 - w:Adam Riess、w:Saul Perlmutterと他の発見者がIa型の超新星の宇宙加速の観測から宇宙定数が0ではないことを示唆する結果が示された。 1999年 - 宇宙マイクロ波背景放射線の測定(有名なものでBOOMERanG実験)により、宇宙の構成についての標準理論から期待される非等方角スペクトルの振動(ピーク)を検出した。それらの結果から宇宙の形は平坦であることを示していた。また巨大な距離の構成情報から宇宙定数が0ではないことを示唆するものであった。
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