1905年-1913年
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「アレクサンドル・クプリーン」の記事における「1905年-1913年」の解説
クプリーンは生涯を通して政治的見解について不明確な人物であったが、1905年に起きた事件で体制に対して厳しく批判するようになった。クプリーンはセヴァストポリにある黒海艦隊の水兵と関係を築き上げ、さらに、1905年6月、反乱を起こした戦艦ポチョムキンに参加しようとさえした。 クプリーンは政治的に信用できないと見られたことから秘密警察の監視下に置かれた。「セヴァストポリ事件」の時、クプリーンはバラクラヴァで一連の出来事を目撃、巡洋艦オチャーコフの破損の様子について説明した。彼の事件での行動はジャーナリストとしてだけでは無かった。後年、物語"The Caterpillar" (1918年)で、彼が燃えさかる巡洋艦から脱出する複数の乗員の救出を手伝ったことについて明らかにしている。黒海艦隊司令官の提督グリゴーリイ・チュフニーンは、名誉毀損を根拠とした上で、法的手続きを起こし、48時間以内にセヴァストポリを発つようクプリーンに命じた。1906年6月にチュフニーンは暗殺されてしまったがこの真相を聞いたのは2年も経ったのちのことである、そして、クプリーンは1909年8月にジトーミルで罰金と10日間の自宅軟禁を言い渡された。 1905年半ばでよく知られている小説には"Dreams"、"The Toast"、"Art"、"The Murderer"等、後者の作品はその当時ロシアを席巻していた暴力問題を取り上げている。ロシア士官を装った日本人スパイの物語『ルイブニコフ二等大尉』(1906)についてゴーリキーは大いに賞賛した。短編小説"An Insult" (1906)、小説"Gambrinus" (1907)等は議論をよぶ、1905年以後に執筆した主題の多くは感情的なものでセヴァストポリ事件における演説的口調の繰り返しであった。 1905年以降再びクプリーンは数多くの非文学的な分野で活発になった。彼は1909年-1910年に有名な運動選手セルゲイ・ウートチキン(Сергей Уточкин)とともに気球飛行を実行、潜水者として黒海の深みに潜った、そしてまた、飛行士イヴァン・ザイキン(Иван Заикин)による飛行機旅行に同行した。 クプリーンは1908年にズナーニエ派を去った。彼は関係が悪化したゴーリキーの手を借りずにして短編小説"Seasickness"を1908年に独自で出版した。彼の非政治的動物物語の中で最も有名な『エメラルド』(1907年)、雅歌に基いている永遠の愛の頌賦『スラミスフィ』(1908)、自伝小説『レーノチカ』(1910)叶わぬ愛を粛然と悲劇的理想を描いた彼の最も有名な運命的ロマンチシズム物語『ガーネットブレスレット』(1911)、バラクラの漁師を描いた『リストゴーヌイ』 (1907–11)は質素な生活に対する叙情調的讃歌、素朴な民謡がもつ美点を壮大に礼賛している。1909年10月、クプリーンはブーニンと共にプーシキン賞を受賞した。
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