14 m級在来車からの編入車グループ
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「京王2000系電車」の記事における「14 m級在来車からの編入車グループ」の解説
東京急行電鉄(大東急)からの分離による京王帝都電鉄の発足時点で70両が承継された旅客用電車各形式は、電装品の仕様がほぼ統一されており、戦中・戦後の資材難の時期を乗り切るに当たっては重要な役割を果たしたが、それらの機器はほとんどが大正時代から昭和初期にかけての時期に設計されたもので、しかも架線電圧600 Vでの使用のみを前提として設計されていたため、そのままでは1963年に実施が計画されていた京王線の架線電圧1,500 Vへの昇圧にあたっては搭載機器の大規模な改修、あるいは機器新造の必要があった。 しかも、これら14 m級車は車体長も車体幅も小さく、さらには一部に戦災復旧車も含まれるなど、今後の長期的な継続使用には適さない状況にあった。 そこで京王帝都電鉄は昇圧に当たり、これらの14 m級電動車の一部を電装解除して付随車とし、昇圧対応車として新造する2010系の編成に暫定的に挿入することで、昇圧時に一度に該当全車を新造車で置き換えることを回避することとした。 これにより、京王は輸送力を低下させることなく昇圧の日を迎えることが可能となり、また昇圧後これらの付随車を新造車や他系列からの編入車と順次交換してゆくことで、昇圧に当たって最大の問題となる年間予算の急増なしにスムーズな車両代替を実現した。 このグループに属する車両の改造直前の前歴と改造竣工日、改造担当事業者は以下の通り。 サハ2500形 デハ2501→サハ2501:1960年1月 東横車輛工業 デハ2503→サハ2502:1960年1月 東横車輛工業 デハ2500→サハ2503:1960年3月 東横車輛工業 デハ2407→サハ2504:1960年4月 東横車輛工業 サハ2112→サハ2505:1961年12月 東横車輛工業 サハ2114→サハ2506:1961年12月 東横車輛工業 サハ2115→サハ2507:1961年12月 東横車輛工業 デハ2154→サハ2508:1961年12月 東横車輛工業 デハ2301→サハ2509: デハ2302→サハ2510: デハ2303→サハ2511(初代): デハ2306→サハ2512(初代): サハ2111→サハ2531: サハ2113→サハ2532: サハ2550形 デハ2502→サハ2551:1960年1月 東横車輛工業 デハ2304→サハ2552:1960年1月 東横車輛工業 デハ2305→サハ2553:1960年3月 東横車輛工業 デハ2205→サハ2554:1960年4月 東横車輛工業 デハ2152→サハ2555: デハ2158→サハ2556: デハ2156→サハ2557: デハ2155→サハ2558: デハ2202→サハ2559: デハ2203→サハ2560: デハ2204→サハ2561(初代): デハ2206→サハ2562(初代): デハ2159→サハ2581:1961年9月 東横車輛工業 デハ2153→サハ2582:1961年9月 東横車輛工業 以上が示すとおり、デハ2110形(→サハ2110形)12両からは5両、デハ2150形15両からは7両、デハ2200形6両からは当時残っていた5両全車、デハ2300形6両からは6両全車、デハ2400形10両からは戦災更新により異端車となっていた1両、デハ2500形5両からは4両が抽出されて改造された。 具体的な改造内容は電動車については電装品を一切撤去した後、不揃いな床面高さを揃えるために台車心皿および側受にスペーサーを挿入して床面高さの嵩上げを実施、妻面への2010系に準じた広幅貫通路の設置、車内放送および室内灯電源回路などの2010系との共通化、主回路制御信号線および高圧線の引き通し実施、連結器の棒連結器化、それに内装の不燃化などである。 この改造に際しては、車体の経年は浅くとも制御器が東洋電機製造製のHLで、他と比較して単位スイッチ数が多く、14 m級車による5両編成時に負担となるデハ2200形を全車転用するなど、車体と機器の両面から各形式・各車の状況を考慮した選出が実施されている。このため、車体の状態が特に悪かった、いわゆる応急復旧車は対象から外され、逆に戦後、日本車輌製造東京支店で車体を新造した戦災復旧車は全車対象となっている。 これらの14 m級改造車28両は京王社内ではスモールマルティー(○に小文字tを入れる。ⓣ。以下(t)と表記)と呼ばれていた。 もっとも、昇圧前後の財政的に厳しい時期を乗り切る上では重要な役割を果たした本グループであるが、接客設備面では車体が狭く乗り心地も悪いなど問題が多く、1964年6月にサハ2531・2532・2581・2582の4両が車体更新名義での新造車であるサハ2521・2522・2571・2572に車籍を譲ったのを皮切りに、後述する2700系からの編入車と置き換わる形で1966年4月より廃車が始まり、1968年12月までに全車が廃車となった。
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