黒人描写問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:55 UTC 版)
本作(原作漫画)を巡っては、黒人描写をめぐって差別だとして抗議を受ける問題が起きている。1990年9月に「黒人差別をなくす会」より、手塚作品の黒人描写が差別と偏見を助長すると抗議して「善処」を求める内容の内容証明が手塚プロダクションを始めとして、手塚作品を出版する大手出版社に送られた。これを受けて、東京、名古屋、神戸で開催されていた「手塚治虫展」では、『ジャングル大帝』のパネルを撤去し、パンフレットから黒人の部分を削除して差し替えがなされた。当時の「黒人差別をなくす会」は、鳥山明の『Dr.スランプ』、佐藤正の『燃える!お兄さん』など、手塚以外の漫画にも同様に抗議を行い、それらの作品では指摘された黒人の部分を描き変える形の対処が取られたが、既に作者が故人となっていた手塚治虫作品の場合は、描き直すことが不可能であった。そのため、手塚プロダクションでは、1990年12月までに講談社の「手塚治虫漫画全集」の全巻を出荷停止したのを始め、その他、7社の出版社から出されている手塚の単行本のうち黒人が描かれているもの全てを一時的に出荷停止する処分が取られた。その後も、「黒人差別をなくす会」からは定期的に抗議文が送付されて来る中、描き直しが無理のため絶版処分とする処置も浮上したが、1992年春に講談社社員の発案で、手塚が故人であることと作品が描かれた当時の時代背景を示すものであるとする断り書きを巻末につけて理解を求めることに決定。『ジャングル大帝』を始めとする手塚作品の再出荷を開始した。1993年には日本アフロ・アフリカン協会からも抗議を受けたが、手塚プロダクションと出版社を交えて対話が行なわれ、断り書きをつけることで基本的合意が得られている。以後も「黒人差別をなくす会」からは定期的に抗議が寄せられているというが、これがきっかけとなって、黒人が登場するしないにかかわらず手塚作品が出版される際は断り書きを巻末につける形が通例となっている。 手塚治虫ファンクラブ京都は、当初1990年8月に手塚プロダクションの許諾を受けて、ファンクラブの会報「ヒョウタンツギタイムス」誌上で「漫画少年」連載のオリジナルの『ジャングル大帝』の復刻を開始。1990年10月に『ジャングル大帝』が人種差別とする「黒人差別をなくす会」から抗議文が大手出版社と手塚プロダクションへの抗議に続く形で到着したが、手塚治虫ファンクラブ京都はこれに納得せずに独自に刊行を続行。黒人描写がある手塚作品が大手出版社から出荷停止になっていた時期にも、手塚治虫ファンクラブ主宰者は、手塚治虫ファンクラブ京都の名を外して手塚プロダクションとは無関係の立場に切り替えたうえで刊行を継続、1992年3月遂に最後までの復刻が完了した。これが漫画少年版の史上初の完全復刻である(手塚プロダクション, 司田 武己,『手塚治虫バカ一代 ―「幻のジャングル大帝」を覆刻した男・石川栄基の物語』,集英社インターナショナル,ISBN: 978-4797670967, (2004年2月26日))。
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黒人描写問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:07 UTC 版)
「黒人差別をなくす会」の黒人描写問題により、1990年12月には「手塚治虫漫画全集」の全巻を出荷停止した。さらに、他の出版社から出されている手塚の単行本のうち、黒人が描かれているもの全てを一時的に出荷停止する処分が取られた。絶版も危惧されたが、巻末に断り文を掲載することで理解を求め、1992年に再出荷を開始し、1993年から第4期の刊行となった。
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