黎明期におけるゲームパソコン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 06:40 UTC 版)
「ゲームパソコン」の記事における「黎明期におけるゲームパソコン」の解説
現行のPC/ATやDOS/Vのアーキテクチャーを出発点とするPC/AT互換機では必要なモジュール追加や交換で対応できる面から他製品との境界は不明瞭化しているが、かつて8ビットパソコンなどパソコンがその各々で独自アーキテクチャーを持ち販売競争をしていた時代には、ゲーム実行環境の優位性で市場拡大を目指した製品も見られる。なお日本では同時代には、ホビーユースも含め圧倒的なシェアを誇っていたパソコン御三家と呼ばれたメーカーの製品は、ゲーム実行に特化した製品ではなく、むしろゲーム実行には不利な側面もあった。またMSXに代表される比較的廉価な設計のコンピューターは、その販売ターゲットが低年齢層に向いていることもあり、多くがゲーム実行にも有利な機能が搭載されていた。 日本のパソコンの歴史は1978年9月に発売された日立のベーシックマスターより始まる。当時はパソコンは非常に高価で、例えば初代ベーシックマスターMB-6880の本体のみの値段は当時の定価で、188000円、モニター、キーボード、などの周辺機器が揃っている機種に至っては60万円以上(現在の金額だと約100万円前後)と高嶺の花であり、そのため、1980年代は使用用途をゲームにしぼり、価格を低く抑えたゲームパソコンが各社から発売され、ある程度人気を博し普及した。しかし1990年代から技術が飛躍的に進歩し、高性能パソコンの価格が下がってくると、ゲームパソコンの存在意義はなくなり、徐々に市場より姿を消していった。ゲームパソコンはゲーム機としての特徴とパソコンとしての特徴を併せ持つ。ゲーム機での分類は第3世代になる。ゲームパソコンの特徴は以下の通りである。 パソコン専用のRGBモニターは必要なく、家庭用テレビに接続して使う。 カートリッジスロットを搭載し、ゲームはROMカートリッジで提供された。 本格的なキーボードではなくゴム製のチクレットキーボードなどの簡素なキーボードを搭載する。ゴム製のものはその押下の感触などから、当時は俗に「消しゴムキーボード」とも呼ばれた。 コントローラ端子を装備し、ジョイスティック等が接続できる。 シューティングゲームやアクションゲームを作りやすい様、スプライト機能を持っていた。 BASICはグラフィックやサウンドに関する命令が強化されている一方で、実数演算やデータ処理に関する命令が省略されている。 価格は10万円以下に設定され、本格的なコンピューターに比べ安価に販売され入手しやすかった。 なお、関連する語にはホビーパソコンという用語も存在するが、ホビーパソコンはその解像度や、性能から、ゲーム以外にもデータベース、絵画、音楽、ワープロ、年賀状作成などより汎用性の高いものである。ゲームパソコンでは主記憶装置、並びに補助記憶装置の容量や、表示解像度などの制限から、実用になる用途が限定される傾向にある。
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