黎明期から靴鋲の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:59 UTC 版)
1788年にオラス=ベネディクト・ド・ソシュールがモンブランのジュアン峠に登った時の銅版画を見ると、この頃は平野部で使う靴とほとんど同じものが使われていたようである。これが登山靴として特化されたのはイギリス人がアルプスにやって来て猟師や水晶採りとして働いていた人々をガイドに登るようになってからである。1884年春にエドワード・ウィンパーが描いた『ツェルマットのクラブ室』というスケッチを見る限り貧弱な革靴であったが、いわゆる銀の時代になると、かなり頑丈に進歩し、靴鋲がびっしり打たれている。 靴鋲は岩場に弱く、岩登り向きとされていたトリコニーも一枚岩に弱いという欠点があり、また鉄製であるため冬季には猛烈に冷える。このため岩場では1918年に発明された地下足袋に履き替え、重い登山靴を担いで登っていた。
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