黎明期から創業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 10:20 UTC 版)
食料品店と食品工場を営む両親のもとに生まれたマギルスは、青年期に体操選手として活動し、その後、イタリアのナポリに職業訓練生として7年間留学。留学後の19世紀前半にはウルム体操協会の理事に就任している。1847年にマギルスを含む体操選手数名でウルム市初となるウルム消防隊(消防士)を結成。結成後に出動したオーストリア、ドナウシュタットで火災の消火に成功している。1850年に父親の事業を引き継いでおり、同時期、自身の消火活動の記録と消火技術に関する書籍「Alle Theile des Feuer-Lösch-Wesens(消火活動の本質)」を自費出版している。ウルムでの活動が認められたことにより1853年にウルム消防隊の指揮官に任命され、7月10日には消火を専業とする現代消防署の前身となる「Deutscher Feuerwehrverband(ドイツ消防団)」を設立している。マギルスはこの仕事に没頭しており、消防車の開発や消火器および消火技術の改善などに取り組み、特に消火活動における数々のはしご車の設計を行い、思いついたアイデアを次々形にしたことから、はしご車における先駆者とみなされている。 1864年、マギルスはエバーハート兄弟との合弁企業「Gebr. Eberhardt offene Handels- und Kommanditgesellschaft(エバーハート兄弟合名=パートナーシップ)」社を設立。しかし、兄弟と意見が対立したため、1866年に「Feuerwehr-Requisiten-Fabrik C. D. Magirus gab(マギルス消防小道具工場)」と名付けたマギルス社の前身を創始し、この年から消防車の製造を開始している。
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