黎明期〜鈴木良平監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:26 UTC 版)
「サッカー日本女子代表」の記事における「黎明期〜鈴木良平監督時代」の解説
詳細は「女子サッカー#各国・地域の女子サッカー」を参照 1977年、台湾・台北市開催のアジア女子選手権に、FCジンナンの選手たちが「日本代表」として参加した。この大会が日本女子サッカーにおける初の国際試合である。1981年の1981 AFC女子選手権において、全国各地のチームから選手を選抜して結成した初の日本代表チームが結成され、当時京都府所在の西山高等学校教諭であった市原聖曠が監督となった。同年9月にはポートピア81関連事業として日本代表とイングランド代表およびイタリア代表による試合が行われ、イングランドとの試合では0-4、イタリアとの試合では0-9の成績であった。 1986年、鈴木良平が初の専任代表監督として就任。1986年に開催された1986 AFC女子選手権にて準優勝の成績をおさめた。
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