黎明期から20世紀初頭とは? わかりやすく解説

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黎明期から20世紀初頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)

中国哲学」の記事における「黎明期から20世紀初頭」の解説

孔子老子のことを「中国哲学者」「中国哲学」と呼ぶことは、マテオ・リッチやトリゴー、クプレノエルライプニッツヴォルフら、17世紀前後中国学の頃から行われている。 分野としての中国哲学」、あるいは中国哲学史を叙述する営みは、明治期日本始まった。その主な担い手として、西洋哲学紹介者でもある井上哲次郎や、江戸漢学末裔でもある島田重礼をはじめ、中村正直内田周平井上円了松本文三郎狩野直喜有賀長雄山路愛山服部宇之吉高瀬武次郎小柳司気太田岡嶺雲蟹江義丸綱島栄一郎遠藤隆吉宇野哲人中内義一久保天随らが挙げられる。彼らにより中国哲学枠組み作られ、特に孔子宋明理学徳治主義性善説諸子百家論理学派、墨子荀子韓非子老荘思想等が研究された。とりわけ明治30年代1900年前後)の東京中心地として、西洋哲学との比較研究流行した。なお明治期には、元田永孚西村茂樹による修身教育儒教主義や、三宅雪嶺井上哲次郎による陽明学ブーム同時に進行していた。 中国では、清末戊戌政変後(1900年前後)に日本滞在した梁啓超章炳麟劉師培王国維らが、日本の影響を受けつつ中国哲学論じた後、民初の1920年代前後胡適馮友蘭蔡元培梁漱溟張岱年(中国語版)、銭穆らが、中国哲学史を叙述した。彼らにより上記宋明理学諸子百家のほか、清初黄宗羲顔李学派清朝考証学者の戴震再評価された。

※この「黎明期から20世紀初頭」の解説は、「中国哲学」の解説の一部です。
「黎明期から20世紀初頭」を含む「中国哲学」の記事については、「中国哲学」の概要を参照ください。

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