蟹江義丸とは? わかりやすく解説

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蟹江義丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/07 10:10 UTC 版)

蟹江 義丸
人物情報
生誕 1872年3月??
日本富山県富山市
死没 1904年6月19日(1904-06-19)(32歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 哲学
研究機関 東京専門学校東京法学院浄土宗高等学院東京高等師範学校
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蟹江 義丸(かにえ よしまる、1872年明治5年)3月 - 1904年明治37年)6月19日[1])は、日本哲学者

経歴

1972年、富山県富山市鹿島町に蟹江晟の子として生まれる。祖父の蟹江基徳は富山藩の重臣で、家老を務めた[2]1890年(明治23年)、第四高等中学校に入学し、翌年第一高等中学校に移った[1]1893年(明治26年)、東京帝国大学文科大学国史学科に入学したが、1年間の休学を経て哲学科に転じ、1897年(明治30年)に卒業した[1]。その後体調を崩し、京都で静養の傍ら、真宗大学(現在の大谷大学)で講師を務めた[1]。1年ばかりの後、東京帝国大学大学院に入り、カント及び以後のドイツ哲学を専攻し、さらに倫理学・東洋倫理学を専攻した[3]。その他、東京専門学校(現在の早稲田大学)・東京法学院(現在の中央大学)・浄土宗高等学院(現在の大正大学)で講師を務めた[3]

1900年(明治33年)、東京高等師範学校講師となり、のち教授となった[1]1903年(明治36年)には「孔子研究」を提出して文学博士の学位を取得[4]。翌年、結核により逝去。享年32歳[5]。墓所は富山市内の光厳寺。

著書

  • 『西洋哲学史』(博文館、1899年)
  • 『パウルゼン氏倫理学』(育成会、1900年)
  • カント氏倫理学』(育成会、1901年)
  • ヴント氏倫理学』(育成会、1901年)
  • 『日本倫理彙編』(育成会、1903年) - 井上哲次郎と共編。江戸儒学の資料集[6]
  • 孔子研究』(金港堂、1904年) - 中国で注目され、王国維梁啓超銭穆がそれぞれ翻訳した[7]

脚注

  1. ^ a b c d e 時代と哲学 1904, pp. 404–407.
  2. ^ 蟹江義丸の生涯[リンク切れ]
  3. ^ a b 日本現今人名辞典 1903.
  4. ^ 末岡 2019, p. 68.
  5. ^ 末岡 2019, p. 69.
  6. ^ 末岡 2019, p. 70.
  7. ^ 末岡 2019, p. 75.

参考文献




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