黎明期から第一次大戦期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 04:23 UTC 版)
「アレスティング・ワイヤー」の記事における「黎明期から第一次大戦期」の解説
1911年1月18日、アメリカ海軍の装甲巡洋艦「ペンシルベニア」の後甲板上に36×10メートル大のプラットフォームが仮設され、これを横切るように、両端に土嚢が結び付けられたロープが22本用意された。また衝突に備えて、後檣背後にはキャンバスの垂れ幕が設けられており、これらが世界最初の着艦装置となった。ユージン・バートン・イーリーの操縦するカーチス モデルDは11本目のロープに機のフックを引っ掛けて、約15メートルの滑走で停止しており、これが洋上の艦船への世界初の着艦となった。 イギリス海軍の「フューリアス」は、まず船体前部に発艦用甲板を設置したのち、1917年末からの第一次改装の際に船体後部に着艦用甲板を設置したが、ここには、初の実用的着艦制動装置が設けられた。これは縦索式を採用したもので、甲板の中央部に多数の鋼索を数十センチおきに前後に張り渡し、機体の車軸またはスキッドの中央に設けたV字型フックをこの鋼索に引っ掛けて、その摩擦を制動力として機体を停止させるという原理であった。 しかし同艦の場合、飛行甲板が全通しておらず、着艦甲板の正面の煙突からの熱気による乱気流の影響もあって、使用実績は不良であり、13回の着艦テストのうち無事に着艦できたのは3回に留まり、ほかは全て機が破壊するか損傷を受ける結果に終わった。この結果、同艦では着艦甲板の使用をしばらく中止し、同時期に同様の改装を受けた「ヴィンディクティヴ」では制動装置を装備せず、ロープによる制止装置(バリケード)のみを設けていた。 第一次世界大戦末期にイギリス海軍が竣工させた「アーガス」は、世界で初めて全通飛行甲板を備えていたが、制動装置は縦索式であった。「フューリアス」では索を木の杭で持ち上げていたのに対し、同艦では起倒式の駒板が採用され、また索の配置も改良されたものの、結果は満足すべきものではなかった。また大日本帝国海軍の「鳳翔」や「赤城」・「加賀」でも縦索式が踏襲されたが、これは他に代わるものがなかったためであった。
※この「黎明期から第一次大戦期」の解説は、「アレスティング・ワイヤー」の解説の一部です。
「黎明期から第一次大戦期」を含む「アレスティング・ワイヤー」の記事については、「アレスティング・ワイヤー」の概要を参照ください。
- 黎明期から第一次大戦期のページへのリンク