霊璽簿とは? わかりやすく解説

霊璽簿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:42 UTC 版)

靖国神社問題」の記事における「霊璽簿」の解説

靖国神社では、戦没者としていった合祀されたものの後になって生存していることが明らかになった場合祭神簿に「生存確認」との注釈付けるにとどめ、霊璽簿は削除訂正しない。この処置は、後に生存確認され横井庄一小野田寛郎、そして韓国など海外生存者についても同様である。また、この毎日新聞記事によれば死亡していない以上、もともと合祀されておらず、魂もここには来ていない」と靖国神社説明している。 霊璽簿を一切変更せずただ名前を追加するのみという靖国神社態度は、生存者だけでなく内外遺族削除要求に対して一貫している[要出典]。 朝鮮戦争での殉職者合祀拒否問題 2006年平成18年9月2日付け各紙報道によれば朝鮮戦争中の1950年昭和25年10月米軍要請北朝鮮元山市沖で掃海作業中、乗船していた掃海艇機雷触れ爆発殉職した海上保安庁職員当時21)の男性遺族(79)が、靖国神社合祀申請していたが、神社側が合祀要請拒否していたことが明らかになった。神社側は8月25日回答書で「時代ごとの基準によって国が『戦没者』と認め、名前が判明した方をお祀りしてきた」「協議結果朝鮮戦争にあっては現在のところ合祀基準外」とした。海上保安庁は、日本国憲法発効していたことから、遺族口外禁じ事故記録廃棄されたという。男性遺族は「戦後の『戦死者第1号であり、神社には再考求めたい」と話している。なお、この職員には、戦没者叙勲はされたものの、恩給支給されていない[要出典]。 特攻作戦関与した海軍中枢部の将官のうち、終戦直後8月15日に「オレも後から必ず行く」と言ってそれを実行した宇垣纏は、靖国神社祀られていない[要出典]。終戦直後部下と共に特攻した(特別攻撃隊#日本海軍行為が、停戦命令後の理由なき戦闘行為禁じた海軍刑法31条に抵触するものであり、また、無駄に部下道連れしたことが非難されてもおり、部下含め戦死者(あるいは受難者)とは認められていない[要出典]。しかし、特攻作戦命令下した人物として自決により責任取った、と評価する有識者の中からは、靖国神社合祀すべきとの意見出ている。そのため郷里である岡山県護国神社境内には、彼と部下十七勇士の「菊水慰霊碑」が建立されている。

※この「霊璽簿」の解説は、「靖国神社問題」の解説の一部です。
「霊璽簿」を含む「靖国神社問題」の記事については、「靖国神社問題」の概要を参照ください。

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