阪神・淡路大震災からの復旧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 16:15 UTC 版)
「JR神戸線」の記事における「阪神・淡路大震災からの復旧」の解説
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は、JR神戸線にも大きな影響を与えた。 西宮駅 - 須磨駅間で貨物列車を含め8本が脱線したほか、鷹取工場でも39両が脱線、転覆した。駅施設関係では、六甲道駅を中心に高架橋や柱に大きな被害を受け、新長田駅付近の盛土が崩壊して駅設備が壊滅した。また、鷹取工場では建物が全壊したほか、検修庫や検修設備に損傷を受けたほか、土留め擁壁が倒壊するなどの被害を受けた。 発生直後から全線で運転を見合わせたが震災当日に運転再開することができず、翌18日に、大阪駅 - 尼崎駅( - 福知山線塚口駅)間の上下外側線と西明石駅 - 姫路駅間で運転を再開した。運転再開は、折り返しができる駅を活用して工事が進められたが、折り返しができない須磨駅・住吉駅では新規にポイントを設置し、灘駅ではその先の東灘信号場の構内配線を変更して引き上げ線とすることにより折り返しができるようにした。 西明石方面からは、ホームのある上下電車線を優先して復旧を行ったが、灘駅 - 兵庫駅間は方向別線路となっていたため海側2線(下り列車線・電車線)を優先して復旧作業を行った。新長田駅付近では被害が大きかったため、下り列車線と和田岬線への小運転線を活用して複線化している。当時この小運転線は非電化であったため、急遽電化して対応した。なお、新長田駅は駅舎が全壊したため、1月30日に神戸駅 - 須磨駅間の運転を再開しても停車せず、3月10日に仮駅舎ができるまで通過していた。 ダイヤ面においては大阪方面から甲子園口駅までの復旧時は新快速(ただし大阪駅以西は各駅停車)と普通のみ運転され、京都方面からの快速は大阪駅で折り返し運転を行っていた。新快速は大阪方面からは芦屋駅開通時に運転を開始したが、姫路方面からは3月12日まで運転されることはなかった(ただし加古川駅 - 姫路駅間では新快速運転を行う列車は存在していた)。 震災の復旧作業の進捗によって、不通区間が徐々に短縮されていったが、不通区間の東西それぞれで封じ込められた車両で運用を行わなければならず、特に不通区間の東側では車両が不足していた。そのため、播但線を迂回ルートとして車両が回送されたが、播但線は非電化のため、パンタグラフなどの付属機器を網干電車区(現在の網干総合車両所)で一旦撤去し、ディーゼル機関車の牽引により福知山運転所(現在の福知山電車区)まで回送され、同所で取り外した機器類を取り付けて自力で宮原電車区(現在の宮原総合運転所)などに回送された。 しかし、この再配置だけでは車両不足が解消できず、岡山電車区・広島運転所から115系19両および森ノ宮電車区・日根野電車区の103系が運用されたほか、震災時に鷹取工場に入場していた奈良電車区の221系も運用された。また、車両の増結を行うなどし、201系は通常7両編成で運用されているが、このうち4本を4M4Tの8両編成と、8M4Tの12両編成に組み替え、201系では最長となる12両編成で運転された。 六甲道駅を含む住吉駅 - 灘駅間は、高架橋の崩落が最も大きな被害を受けたため最後まで不通区間として残ることになったが、4月1日に74日ぶりに全線が開通した。これにより震災後、阪神間の鉄道が初めて復旧することになり、この日に行われたダイヤ改正で新快速を増発している。六甲道駅復旧の模様は日本放送協会 (NHK) のテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられた。開通区間が延長されるたびに、開通直後から路盤固めまでの暫定ダイヤと、路盤が固まってから次に開通区間がのびるまでの暫定ダイヤの2種類がつくられ、震災発生から全通まで18回のダイヤ改正が行われた。
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