阪神・淡路大震災からの決意とは? わかりやすく解説

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阪神・淡路大震災からの決意

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:55 UTC 版)

道上洋三」の記事における「阪神・淡路大震災からの決意」の解説

1995年3月目途に、ラジオパーソナリティからの引退検討阪神・淡路大震災同年1月17日)の発生直後には、『おはパソ』で被災地からの情報伝えた。しかし、それから被災地取材被災者とのやり取り重ねにつれてラジオパーソナリティとして無力さ痛感したという。 道上転機になったのは、朝日放送テレビ取材クルー淡路島にあった北淡町現在の兵庫県淡路市)の町民会館取材した際のリスナーエピソードを、取材担当岡元昇当時同局アナウンサー道上部下)から伝えられたことにある。岡元などによる取材では、震災による自宅倒壊生き埋めになった80前後老婆が、ラジオから流れ続け音声きっかけ間一髪救出されたことが判明島内身寄りのいない彼女は、取材クルーに対して遠く親戚より近くラジオ」という言葉を残した。このエピソードを岡元から聞いた道上は、喜びのあまり、その言葉半紙書いてスタジオに貼り、自身の持つ価値感すら変えた後年回想によればこのような体験から、「声が出なくなるまで」ラジオパーソナリティ続けることを決意したという。 ちなみに髄膜腫放射線治療による約2ヶ月間の休演発表した2018年6月18日には、放送中の7:58大阪府北部地震発生大阪府北部一部地域震度6弱発生時点地震観測体制下での府内最大震度)、朝日放送グループ本社のある大阪市福島区震度5弱を観測したことから、発生直後からリスナーメッセージ交えながら地震発生関連情報本番終了(8:59)まで伝え続けた後年も、1月17日にはこの経験生かして番組内で「いつもの朝と違うようだけど、いつものなんです。」「災害時ラジオ有用性を見いだされてはいるけれど、災害の時〝も〟ラジオいつものラジオがあるから皆に支えていただいているんだ。」とコメントしている。

※この「阪神・淡路大震災からの決意」の解説は、「道上洋三」の解説の一部です。
「阪神・淡路大震災からの決意」を含む「道上洋三」の記事については、「道上洋三」の概要を参照ください。

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