阪神・淡路大震災からの決意
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「道上洋三」の記事における「阪神・淡路大震災からの決意」の解説
1995年3月を目途に、ラジオパーソナリティからの引退を検討。阪神・淡路大震災(同年1月17日)の発生直後には、『おはパソ』で被災地からの情報を伝えた。しかし、それから被災地の取材・被災者とのやり取りを重ねるにつれて、ラジオパーソナリティとしての無力さを痛感したという。 道上の転機になったのは、朝日放送のテレビ取材クルーが淡路島内にあった北淡町(現在の兵庫県淡路市)の町民会館を取材した際のリスナーのエピソードを、取材担当の岡元昇(当時は同局アナウンサーで道上の部下)から伝えられたことにある。岡元などによる取材では、震災による自宅の倒壊で生き埋めになった80歳前後の老婆が、ラジオから流れ続ける音声をきっかけに間一髪で救出されたことが判明。島内に身寄りのいない彼女は、取材クルーに対して「遠くの親戚より近くのラジオ」という言葉を残した。このエピソードを岡元から聞いた道上は、喜びのあまり、その言葉を半紙に書いてスタジオに貼り、自身の持つ価値感すら変えた。後年の回想によれば、このような体験から、「声が出なくなるまで」ラジオパーソナリティを続けることを決意したという。 ちなみに、髄膜腫の放射線治療による約2ヶ月間の休演を発表した2018年6月18日には、放送中の7:58に大阪府北部地震が発生。大阪府北部の一部地域で震度6弱(発生時点の地震観測体制下での府内最大震度)、朝日放送グループ本社のある大阪市福島区で震度5弱を観測したことから、発生の直後からリスナーのメッセージを交えながら地震発生関連の情報を本番の終了(8:59)まで伝え続けた。 後年も、1月17日にはこの経験を生かして番組内で「いつもの朝と違うようだけど、いつもの朝なんです。」「災害時のラジオの有用性を見いだされてはいるけれど、災害の時〝も〟ラジオ。いつものラジオがあるから皆に支えていただいているんだ。」とコメントしている。
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