阪大理学部時代とは? わかりやすく解説

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阪大理学部時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:31 UTC 版)

仁田勇」の記事における「阪大理学部時代」の解説

帰国間もなく大阪帝国大学作ろうという声が関西経済界中心として起こり緒方洪庵創始適塾伝統を継ぐ府立大医大医学部とし、理学部新設してこの2学部による大阪帝大(現大阪大学設立準備始まり1932年仁田創立委員になった理研からはほかに小竹無二雄化学)、菊池正士物理学)が参加した1933年4月第1回学生入学し仁田物理化学第一講座担当教授として量子力学熱力学、統計力学基礎とする物理化学講義行った仁田自身この講義原稿をつくるのは難事業だったと述懐しているが、これ以降理学部化学科旧制)の1年生はいきなりシュレーディンガー方程式出てくる仁田講義悩まされることになる。 阪大理学部当初数学、物理学化学の3学科スタートした初代長岡半太郎総長方針で、若手俊秀集めた未来志向型の学部だった。3学科が同じ建物同居していることも特色一つで、3学科のいわば"異業種"交流は非常にうまく機能した仁田研究室設立当初から、「結晶化学」の構想描き結晶関与する化学反応触媒作用)、構造研究構造に基づく物性研究を目指した(1949年共立出版発行の"理論化学進歩"第1集水島三一郎仁田勇共編、p.298)。反応について最近になってトンネル分光法や原子間力顕微鏡などの最先端研究法普及して本格的な研究ができるようになったが、当初X線回折による構造研究主力とし、電気磁気的性質熱的性質研究を従とした。物性研究が軌道に乗るにつれてX線回折との連携歯車がうまく回るようになり、単なる静止構造研究留まらず相転移現象結晶内の分子運動乱れX線散漫散乱へと研究範囲急速に拡大した仁田研究対す基本的な考え方は、研究課題選択仕方如実に表れている。つまりある研究課題取上げるとき、その研究成功させたら、自然についてわれわれの理解はどれだけ深まるのか、それによって科学ほんとうに進歩するということ判断基準であった。またそのような研究課題発掘してとりあげた。学生卒業論文テーマ与えるときでも、この原則曲げなかった。学生理解超えることがしばしばだったが、仁田独り言のように、その研究意義説いた仁田研究は、その時々の最先端をいくものであったX線回折だけに限っても、最高の精度測定をし、その実結果から導き出せるかぎりの情報分析して結論を得る。したがって、その成果は当然前人未到のものであるが、いざ論文として発表するときは、極めて慎重で、「...である。」と言ってもいいのにと弟子思っても、「...と考えられる。」となってしまうことがしばしばあった。仁田自信がなかったのではなくテーマ意欲的であればあるほど、結論には謙虚さ目立った

※この「阪大理学部時代」の解説は、「仁田勇」の解説の一部です。
「阪大理学部時代」を含む「仁田勇」の記事については、「仁田勇」の概要を参照ください。

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