阪堺電鉄時代
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「大阪市交通局1301形電車」の記事における「阪堺電鉄時代」の解説
1301形の前身となる阪堺電鉄101形103〜106は、戦時増産で沿線にある造船所への通勤客が増加したため、1943年に梅鉢鉄工所で4両が製造された。この車両の登場により、1929年製の103〜106は113〜116に改番された。 車体は窓配置はD5D5Dで、先に登場していた201形と同じく二段上昇窓を採用したが、車体は戦時下での製造のためか、車体の曲線を廃した直線的な車体で、また窓位置を低くしたために幕板が広がり、やや鈍重な印象を受ける車体となっている。 台車はブリル77E-1台車を採用し、モーターは定格30kWのものを2基搭載していた。
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阪堺電鉄時代
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「大阪市交通局1401形電車」の記事における「阪堺電鉄時代」の解説
1401形の前身となる阪堺電鉄201形は、(旧)阪堺電気軌道が開業時に製造した木造車1形を譲り受けた81形のうち5両を鋼体化改造したもので、1940年に木南車輌製造で5両が製造された。 車体は窓配置はD5D5Dで、二段上昇窓を採用した。一方、台車は高床式台車のブリル27GE-1台車を流用したが、車体は極力低床式に近い車体とした事から、床板は台車部分を中心に高くなっていた。 なお、81形の残り2両は1943年に鋼体化改造されたが、台車が低床式のブリル77Eを使用しており、車体様式も201形とは異なる事から211形211~212となった。
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阪堺電鉄時代
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「大阪市交通局1201形電車」の記事における「阪堺電鉄時代」の解説
1201形の前身となる阪堺電鉄101形は、同社の開業用として1926年8月に大阪鉄工所で製造された2両と、1929年6月に増備された4両があり、いずれも低床式の3扉大型ボギー車であった。 最初の2両は、神戸市電500形のI・J車に似た車体を持ち、窓配置は1D5D5D1の一段下降窓で、中央乗降扉の戸袋窓は楕円形の飾り窓となっており、前面窓は3枚窓で、正面右側窓上に行先方向幕が装備されていた。一方、増備車の4両は、車体は1601形に似たD6D6Dの一段下降窓で、性能は先の2両と同一であった。 台車はブリル77E-1台車を採用し、モーターは定格30kWの物を2基搭載、定員は85名であった。 1929年製の4両は、1943年に4両の新車が増備された際に、113~116に改番された。
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