阪之上小学校として
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「長岡市立阪之上小学校」の記事における「阪之上小学校として」の解説
1947年:学校教育法の施行、現在の校名に改称。 1948年3月28日:東坂之上1丁目に校舎を新築、移転。 1953年10月:創立80周年記念式典。第2校歌を制定。 1959年11月:火災で校舎を焼失。 1959年11月4日:焼失を免れた一部の校舎ほか、東中学校・南中学校の3ヶ所で分散授業を開始。 1960年8月31日:東中学校の跡地、今朝白に校舎を新築。 1960年9月14日:分散授業終了、今朝白で授業を開始。 1960年10月14日:竣工式典。 1969年6月 - 開学100周年、記念式典。 1973年11月2日:創立100周年、発表会と祝賀会を開く。 1983年10月 - 創立110周年、発表会と祝賀会を開く。書籍「わたしたちの悠久山」初版を発刊。 1988年4月:科学技術庁(現:文部科学省)から長官賞を授与される。 1988年10月:新潟県生物標本展「学校賞」を受賞。伝統教室(伝統館の前身)を改装。 1990年11月:第6回教育奨励賞を受賞。 1996年3月:日本教育公務員弘済会教育賞を受賞。 1998年4月:米百俵・学習情報ネットワーク開発研究事業(1999年まで)、学校図書館情報化モデル事業の推進校に指定(2000年まで)。 1999年4月:チャレンジ21教育推進事業の推進校に指定、2000年まで。 2000年8月 - 旧校舎の老朽化が進んでいたことから、建て替え工事が開始される。当時グラウンドだった敷地部分に新校舎を設置する。 2001年9月:現在の校舎が完成。 2001年10月:旧校舎の解体工事を開始、2002年7月まで実施。 2002年7月:旧校舎跡地にグラウンドを設置。 2003年1月:雪灯ろうのライトアップイベントを開始、2010年代まで。 2004年2月:総合学習、英語劇「米百俵」をリリックホールで公演。演者はともだち学年6年生の児童。 2004年3月:新潟日報社、新潟県教育公務員「第3回特色のある教育実践校・園の応募論文」最優秀賞。 2004年10月23日:中越大震災で校区が被災、停電に伴い自家発電装置を稼働。 2004年10月24日:体育館を避難所に転用、臨時休業。 2004年11月:防災公園の仮設住宅完成、体育館の避難所を閉鎖。授業再開、山古志小学校の機能を仮校舎として設置。 2005年3月:総合学習、みらい学年が平和劇「昔、長岡で戦争があったよ」を公演。(のち希望が丘小学校が受け継ぐ) 2006年4月1日:2学期制に移行。 2008年5月:開学140周年。 2009年4月1日:特別支援学級、すこやか1を設置。 2011年:特別支援学級、すこやか2を新設。 2013年10月14日:創立140周年、アオーレ長岡で記念式典を開く。 2018年7月14日 三つ葉ダンスコンテストから三つ葉ダンスフェスティバルへと改名
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