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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 18:41 UTC 版)
物語の主要な出来事が展開される「カラブホフ・ハウス」(露: Калабуховский дом)の原型は、建築家のS.F.クラージン(露: Кулагин,_Семён_Фёдорович)が自身の設計と資金で1904年に建てた集合住宅(モスクワ、プレチステンカ通り24番)であった。 プレオブラジェンスキー教授は作中、「セビリアからグラナダまで…夜の静かな夕暮れの中で」と度々歌っている。これはピョートル・チャイコフスキーの歌曲『ドンファンのセレナーデ』で、歌詞はアレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイの『ドンファン』の詩からきている。ブルガーコフはこれにより、教授の若返り手術とドンファンを結び付けようとしている。 教授は12月24日から1月6日まで、カトリック教会のクリスマス・イヴから正教会のクリスマス・イヴにかけてシャリクの手術を行った。シャリクの変化は1月7日の正教会のクリスマスに起こった。 シャリコフを悪魔の具現者と捉えられるとの意見もある。それは彼の頭髪は「根こそぎにされた野原の茂みのように硬い」と作中で語られるように、外見にも表れている。また、シャリコフはプレオブラジェンスキー教授にフィグ・サイン(ロシア語ではшишという)を見せた。このшишはフィグ・サインを表す言葉であるのと同時に悪魔の逆立った頭髪も意味する。 プレオブラジェンスキー教授の原型とされるのは著者のミハイル・ブルガーコフの母方の叔父(母の弟)である産婦人科医のニコライ・ミハイロヴィチ・ポクロフスキーである。彼のアパートはプレオブラジェンスキー教授のアパートの説明と似ており、さらに彼は犬を飼っていた。この仮説はブルガーコフの最初の妻であるタチアナ・ニコラエヴナ・ラッパ(露: Лаппа, Татьяна Николаевна)の回想録でも確認されている。プレオブラジェンスキー教授の患者の原型は、当時の作家や著名人が多いとされるが、他の説も存在する。 作中でプレオブラジェンスキー教授がそれについて愚痴を述べ、またシュヴォンデルも委員長を務めていた住宅委員会は、実際には革命後の初期ソ連時代には機能しなかった。例えば1918年10月14日の政府からクレムリンの住民への指令を引用すると「住宅委員会は法律で与えられた責務を全く果たさない。中庭や広場、家、階段、廊下、アパートの汚れは恐ろしいものだ。ゴミは何週間も回収されずに階段の踊り場に広がり、病気の感染源となる。また、階段は一切掃除されず、中庭には何週間も動物のフン、ゴミ、猫や犬の死体が転がっている。野良猫は至る所を歩き回り病気を媒介している。街中ではスペインかぜが蔓延し、それはクレムリンにも入り込み多くの死をもたらしている。」 犬から人間に変身したシャリクが二番目に発した『Абырвалг』(アブィル・ヴァルグ)という言葉はГлаврыба(露: 中央鮮魚店)の逆読みである。また、最初に発したのはрыба(魚の意)の逆読みであるабыр(アブィル)であった。シャリクがこの言葉を右から左に発したのは犬であったシャリクが「Главрыба」の看板で読むことを覚えたためである。その看板の左側には常に警察官が居たため、シャリクは看板の右側から近づいて右から左に読むようになった。 ロシアのロックバンド「アガサ・クリスティー」(露: Агата Кристи)の曲「犬の心臓」はシャリクの独白が歌詞になっている。
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