近代野球場の隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:06 UTC 版)
まだ木造建築が主流だった1908年、初めて鉄骨や鉄筋コンクリートを用いて建設された野球場であるシャイブ・パーク(フィラデルフィア)が開場。これを機に、鉄筋コンクリート製球場建設ブームが沸き起こり、その後長きに渡って米国の野球史を彩る近代野球場が次々と姿を現した。翌1909年にはフォーブス・フィールド(ピッツバーグ)が完成し、1910年には、収容人数3万人で、フィールドの広さも標準的な近代野球場コミスキー・パーク(シカゴ)がオープン。その2年後の1912年には、現存するMLB最古の球場であるフェンウェイ・パーク(ボストン)がオープンした。同年にはネビン・フィールド(デトロイト、後のタイガー・スタジアム)やエベッツ・フィールド(ニューヨーク)、クロスリー・フィールド(シンシナティ)、更に2年後の1914年にはリグレー・フィールド(シカゴ)がオープンし1915年には、当時最大の4万人を収容可能なブレーブス・フィールド(ボストン)が完成した。メジャーリーグの発展と野球人気の上昇により、球場の収容人数も、2万人~4万人規模が主流になっていった。 この時期に作られた球場は、依然としてフィールドのサイズは統一されていなかったが、概ね現代の水準に近づいてきていた。また、この時代は街中の限られた空き地に球場を作ることが多かったため、結果として左右非対称の歪な形状になることが多かった。その代表例がフェンウェイ・パークであり、左翼方向が右翼に比べて狭く、本塁打の乱発を防ぐためにレフトの外野フェンスが極端に高くなっている(通称:グリーンモンスター)。左右非対称の形状や、カクカクしたフェンスラインは、土地が足らないことによる苦肉の策であったが、次第に古き良き時代の野球場と象徴として捉えられるようになり、近年の新古典主義ボールパークの多くが、左右非対称の歪な外野フェンスラインを採用している。 1923年には、ニューヨーク・ヤンキースの新球場ヤンキー・スタジアムが開場。収容人数は当時最大の58,000人で、「ルースが建てた家」(The house that Ruth built )という異名を持った。しかし、開場時は左中間が異常に深く(「デスヴァレー」(Death Valley)=「死の谷」と呼ばれた)、逆にライトポールまでの距離が短かったため「(左の強打者である)ルースのために建てられた家」だという声も存在する。MLB屈指の強豪球団ヤンキースの本拠地として、ヤンキー・スタジアムは数々の歴史的場面の舞台となった。客席が増設され一時は82,000人収容になったり、1946年には照明灯が導入されるなど、改修もたびたび行われた。また野球以外にも使用され、1956年から1973年にかけてはNFLニューヨーク・ジャイアンツの本拠地として使用された。さらにプロボクシングのビッグマッチも行われた。 ヤンキー・スタジアムの完成を以って、大規模な近代野球場建設ラッシュも一段落する。1931年には「湖畔の失敗(The Mistake on the Lake)」と評されたミュニシパル・スタジアム(クリーブランド)が開場したが、次なる野球場建設ラッシュは、既存の球場の老朽化が始まり、球団拡張が進められた1960年代~1970年代を待つことになる。
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