近代都市計画の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 15:37 UTC 版)
産業革命以降、農村から都市部への人口流動が加速し、都市の環境が悪化した。高い人口密度、住居と工場の混在、スラムの拡大など、様々な問題が発生した。近代都市の形成、すなわち近代的な都市計画制度はこうした事態を背景に生まれてきた。産業革命が最も早く起こったイギリスでは、1845年にエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に悲惨な生活ぶりが報告されている。1848年に公衆衛生法が制定され、この法律の発展に従い、建築や都市施設に対する基準が定められるようになった。 良好な居住環境を実現するため、エベネザー・ハワードは田園都市構想を提唱した。また、近代建築運動の中では都市への関心も高く、ル・コルビュジエによる高層建築主体の「輝く都市」の提案などがあった。一方、自動車交通の増大が大きな課題になり、クラレンス・ペリーは、小学校を中心としたコミュニティを設計し、自動車交通から保護された日常生活環境を実現する近隣住区理論を提案した。20世紀中頃には、これらの機能主義的・合理主義的な都市や理想コミュニティのイメージをベースに、政府主導でニュータウンや郊外住宅団地として実現する事業が各国の都市計画を主導していった。20世紀になると各国で政府によるニュータウン建設が行われるようになった背景には、19世紀半ばから良質な住宅の供給は急務となっており、住宅関連の法律整備が進んでいった。現在の都市計画制度はこの時期にできた住宅供給関連の法律や概念に由来するともいえる。
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