近代阿仁鉱山と異人館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:07 UTC 版)
「官営模範工場」も参照 1879年(明治12年)に来日したアドルフ・メッケルらドイツ技師らの官舎として異人館という西洋風建物が2棟造られた。ルネッサンス風ゴシック建築で、レンガは地元の粘土を水無の下浜という場所で焼いて作られた。この建物は、東京の鹿鳴館やニコライ堂に先がけて建造されたものである。メッケルらの離任後、異人館は政府高官や鉱山関係者の娯楽施設や迎賓館として使われた。1棟は1953年(昭和28年)1月に焼失。もう1棟は1956年(昭和31年)5月に秋田県の有形文化財に指定され、1990年(平成2年)には国の重要文化財に指定された。 全景(2010年6月) 外観(2010年6月) 室内(2010年6月) 脇に展示されている鍰(2010年6月) 阿仁鉱山の払い下げは、松方正義の大蔵卿(1881年 - 1885年)・大蔵大臣(1885年 - 1892年)時代に、財政改革の一環として、深川セメント(1884年)、札幌麦酒醸造所(1886年)、新町紡績所(1887年)、長崎造船所(1887年)、兵庫造船所(1887年)、三池炭坑(1888年)など他の官営事業とほぼ同時期におこなわれたものである。秋田県内では前年の雄勝郡院内銀山(現湯沢市)につづいて、1885年(明治18年)、当時「鉱山王」といわれた古河市兵衛に払い下げられた。官営時投下資本は、長崎造船所(113万0,949円)や兵庫造船所(81万6,139円)、三池炭坑(75万7,060円)を上回る167万3,211円であったが、払い下げ価格は33万7.766円であった。 阿仁鉱山が閉山後、異人館の隣には阿仁鉱山の郷土文化の保存を目的とする伝承館が建っている。
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