跡地利用の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:42 UTC 版)
跡地は国道1号付近から横須賀線沿いに、新川崎駅付近まで延びる。横浜市側の跡地のうち、比較的細長い土地は、一戸建て住宅の敷地として分譲された。広い用地が確保できた新鶴見・江ヶ崎地区には、総合病院やマンション、横浜市立新鶴見小学校や老人ホームが建設された。 江ヶ崎跨線橋の市境を挟んで川崎市側には、小倉地区と新川崎地区に分けられる広大な跡地が広がる。川崎市では、1991年(平成3年)に都市拠点総合整備計画を策定し、都市計画道路の整備、横須賀線の新駅設置、ドーム型運動施設(老朽化した川崎球場に代わるドーム球場または一般野球場)の建設など、川崎市の副都心として大々的に整備することを発表し、また、川崎市営地下鉄予定線の車両基地として整備することも検討された。しかし、経済状況の変化によって財政事情が厳しくなり、計画は大幅に見直すことを余儀なくされた。2000年(平成12年)に、慶應義塾大学が新川崎タウンキャンパス(K²タウンキャンパス、Kスクウェアタウンキャンパス)を置いたほかは、新川崎地区・小倉地区とも、長らく更地とされてきた。 ようやく2005年(平成17年)1月に、川崎都市計画新川崎地区地区計画を決定すると、新めて再開発が始動した。計画によれば、新川崎駅より北側のA街区は「ものつくり」、新川崎駅周辺のB街区は「商業・業務・住宅複合」、B街区とK²タウンキャンパスに挟まれたC街区は「商業・住宅複合」、K²タウンキャンパスを中心としたD街区は「創造のもり」、小倉地区を中心としたE街区は「研究開発」の機能をそれぞれ担わせる。この計画に沿って、長谷工コーポレーションら6社がマンションの建設中であり、2007年(平成19年)にはパイオニアが研究開発施設を設け(2009年〈平成21年〉には本社も移転)、2008年(平成20年)には島忠ホームズ新川崎店が開店した。またA街区では、自然科学系の研究開発機関又は研究開発型の高度な技術力をもつ中堅・中小製造業の立地誘導を図るため、これらを対象とした入札による売払(貸付)を実施した。2009年(平成21年)現在も未決定区画について引き続き誘致を行っている。 また、前身である東北本線荒川橋梁および常磐線隅田川橋梁の時代から100年以上が経過し老朽化が進んでいた江ヶ崎跨線橋についても、2007年(平成19年)より架替がおこなわれ、2013年(平成25年)3月28日に新橋梁が開通した。撤去された旧橋梁のうち、旧隅田川橋梁のプラットトラス1連が短縮の上で横浜市中区新山下にある霞橋の架け替えに再利用されることになり、こちらも2013年(平成25年)3月21日より供用されている。
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