豊後電気鉄道による再建とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 豊後電気鉄道による再建の意味・解説 

豊後電気鉄道による再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:45 UTC 版)

豊後電気鉄道」の記事における「豊後電気鉄道による再建」の解説

1906年1月4日資本金16万円で「豊後電気鉄道株式会社設立された。初代社長には豊州電気鉄道債権者佐々木長治就任破綻した豊州電気鉄道から事業一切引き継ぎ経営再建着手した新体制となった豊後電気鉄道では積極経営展開する具体的には、鉄道事業では線路修繕車両改修実施する供給事業では大分町での電灯供給開始する、そして石炭価格高騰対策として水力発電試みる、という3点であった鉄道事業ではこの時期路線の延伸はなかったが、運転速度の向上に取り組み乗合馬車よりも所要時間短縮することに成功するあわせて電気電車に関する知識宣伝や、長洲観音沿線誘致仏崎に奉置した)と運賃割引セットにした集客策などを展開し利用客増加繋げたその結果1907年明治40年10月には電動客車定員43人)3両と電動貨車を1両増備輸送力増強するまでになっている1907年5月30日豊後電気鉄道24日発足したばかりの「大分水株式会社」を合併し資本金50万円とした。この大分水電は大野川の沈堕(ちんだ)の滝を利用して水力発電所建設する目的で、長野善五郎二十三銀行=現・大分銀行頭取)らにより発起された電力会社である。合併により豊後電気鉄道社長には大分水電の長野就任し、前社長佐々木副社長となったその後1914年死去)。 大分水電の合併により大野川水系水利権取得した豊後電気鉄道では、技術顧問芝浦製作所の岸敬二郎招聘し、1908年明治41年)に沈堕発電所建設着手した発電所は翌1909年明治42年4月出力500キロワット完成。その発生電力大分町までの約44キロメートル22キロボルト送電線によって送られ大分町での電灯・電力供給事業充てられたほか電気鉄道にも利用された。

※この「豊後電気鉄道による再建」の解説は、「豊後電気鉄道」の解説の一部です。
「豊後電気鉄道による再建」を含む「豊後電気鉄道」の記事については、「豊後電気鉄道」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「豊後電気鉄道による再建」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「豊後電気鉄道による再建」の関連用語

豊後電気鉄道による再建のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



豊後電気鉄道による再建のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの豊後電気鉄道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS