豊成・中将姫の石塔婆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:36 UTC 版)
「高林寺 (奈良市)」の記事における「豊成・中将姫の石塔婆」の解説
かつて当寺には豊成卿・中将姫の石塔婆があった。永禄年間、松永久秀が多聞山城を築くにあたり、塁を築くためこの塔石を奪おうとした。当寺に居住していた連歌師・廬箏斎心前は、以下のような連歌発句を久秀に送ったので、連歌に理解のある久秀は奪うのを止めたという。 曳きのこす 花や秋さく 石の竹 この石塔は延宝5年(1677年)鳴川町の徳融寺に移り、心前自筆の短冊のみが当寺に残るという。
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