警察の近代化
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1860年から1932年までの間、西欧列強諸国がアジアに進出してきていた当時の国際政治状況の中で、タイは王国全土で西欧諸国に習った大規模な地方行政改革を行った。それに伴い警察組織も、地方の反乱を抑え、国内の治安維持を行う全国組織として急速に整備が行われた。 1862年、イギリス人サミュエル・ジョセフ・バード・エームズがルワンラッタヤーピバーンバンチャーの官位を得、西欧諸国のような都市の治安維持を目的とした近代警察隊の創設を初めて提案した。 1876年には、A.J.ジャーディンを顧問に迎え、首都警備以外にも警察の職務が拡大し、地方警察を警察軍(ทหารโปลิศ)に格上げした。それにより、地方の治安維持に当たりつつ、軍事行動も可能な組織に改組した。続いて、1877年にデンマーク人G・ショウの提言により、警察軍を都市警護隊局(กรมกองตระเวนหัวเมือง)に改称した。 1892年には、都市警護隊局に代わり、地方警察局(กรมตำรวจภูธร)を創設。ダムロンラーチャーヌパープ親王が大臣を務める内務省に置き、プラヤーワーステープ警察少将(G・ショウ)を地方警察局の局長に据えた。さらに首都省の下に首都警護局(กระทรวงนครบาล、กรมพลตระเวน)を置いた。 1901年、地方警察の幹部を養成するため地方警察士官学校をナコーンラーチャシーマー県に設立。1904年、ナコーンパトム県フワイヂョーラケーに移転し、その後、現在のタイ王国警察士官学校となった。 1905年、地方警察の警察官に関して、軍の「徴兵法」に基づいて、徴兵で人員を確保することが決まった。 地方警察はさらに、イギリス人エリック・セイント・J・ローソンを顧問に迎え、警察公務の拡大・改革を行った。警察機構は当時、首都省警護局と内務省地方警察局の2つの省に分かれて運営が行われていた。 1915年10月13日、この2つの組織を一つの局に統合し、地方警察局および警護局(กรมตำรวจภูธรและกรมพลตระเวน)として一人の局長に統轄させた。現在、この日を記念して、『警察の日』として祝われている。同年終わりには局名を地方警察・首都警察局(กรมตำรวจภูธรและกรมตำรวจนครบาล)に改称。 1922年、内務省が首都省を吸収統合。内務省となる。 1926年、地方警察・首都警察局は再び地方警察局と首都警察局の二局に改組。地方警察局は犯罪者の逮捕、取り締まり、事件捜査、尋問を行い、県刑事裁判所において検事に起訴を行わせた。他方、首都警察局は同様の公務を行うが、起訴は首都圏裁判所(ศาลโปลิศสภา)で行った。
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