新井裕 (警察官僚)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 新井裕 (警察官僚)の意味・解説 

新井裕 (警察官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/26 23:45 UTC 版)

1965年、警察庁長官就任時

新井 裕(あらい ひろし、1914年大正3年〉5月13日[1] - 2008年平成20年〉5月1日[1])は、昭和期の内務警察官僚実業家警察庁長官日本航空専務、日本アジア航空会長。

経歴

栃木県出身[2]。新井二巳也の五男として生まれる。巣鴨中学校を経て、第一高等学校を卒業。1936年(昭和11年)10月、高等試験行政科試験に合格。1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学法学部を卒業。同年4月、内務省に入省し内務属となり警保局に配属[3]

以後、地方事務官・長野県工場課長兼地方課長、同知事官房主事、企画院事務官、兵庫県食糧課長などを経て、東京都財務課予算係長に就任し終戦を迎えた[3]

1945年(昭和20年)9月、内務事務官・警保局勤務となり、以後、福島県警察部長、国家地方警察福島県本部警察長、国家地方警察本部刑事部捜査課長、同警務部人事課長、警察庁人事課長、同警務部参事官警視庁刑事部長、警察庁刑事局長、同警務局長、警察庁次長を歴任。1965年(昭和40年)5月、警察庁長官に就任し1969年(昭和44年)8月まで在任した[3]

退官後、1970年(昭和45年)6月、日本航空常勤顧問、同専務、日本アジア航空会長、警察協会会長、警察育英会理事長、都市防犯研究センター会長などを歴任した[1][2][3]

1986年(昭和61年)11月、勲二等旭日重光章を受章。

エピソード

警察庁長官在任中に発生したハガチー事件の際、外務省の官僚に「警察は何をしている。学生の騒ぎぐらい鎮圧できないのか」といわれ、「実力でやればわけないよ。しかし、それでは長い目でみて治安は保てない。第一、こんな騒ぎは誰に責任がある。政治じゃないか」と言い返したという[4]

著書

  • 『アメリカの警察制度』警視廳自警會、1946年。
  • 『警察と私』警察時報社、1965年。
  • 『社会の要望にこたえるために 警察の近代化』野州文庫、1966年。
  • 『捜査と人』立花書房、1990年。

脚注

  1. ^ a b c 『現代物故者事典 2006-2008』27頁。
  2. ^ a b 『日本警察官僚総合名鑑』32頁。
  3. ^ a b c d 『日本近現代人物履歴事典』24頁。
  4. ^ 坂東弘平 (1983). 後藤田正晴・全人像. 行政問題研究所. p. 164 

参考文献

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
  • 『現代物故者事典 2006~2008』日外アソシエーツ、2009年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新井裕 (警察官僚)」の関連用語

新井裕 (警察官僚)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新井裕 (警察官僚)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新井裕 (警察官僚) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS