解放後の村立・町立図書館(1951-1985)
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1953年(昭和28年)、図書目録を作成して各戸配布し、学校に通う児童・生徒を介して図書を貸し出すというサービスや映画会の会場に出張して貸し出しを行うサービスを開始した。1955年(昭和30年)12月に下伊那図書館協会(現・飯田下伊那図書館協会)結成大会が飯田図書館で開かれ、同会は飯田図書館を事務局とし、初代会長に飯田図書館長の池元威男が就任した。これに伴い、北部地区図書館協議会は発展的に解消、下伊那図書館協会北部支部となった。 かつて上郷青年会で活躍した主要人物からは、上郷村長や助役、長野県議会議員になるなど政界進出を果たす者と、労働運動や原水爆禁止運動など社会運動家となる者が現れた。特に上郷文庫設立と運営に中心的な役割を務めた人物が村長と助役に就任した際には、図書館経費を手厚く保障する政策を実行、「村をゆり動かす力を図書館から」というスローガンを掲げるほどであった。この時代の1956年(昭和31年)7月1日、図書部員のうちの1人が専任の図書館員に任命された。1958年(昭和33年)の統計によると、当時の村立上郷図書館は6,000冊を保有し、同年上半期には1,450人が3,106冊を借りていった。1962年(昭和37年)1月6日には土日を除いて毎日開館するようになり、開館時間は10時から17時となった。一方、この時に上郷青年会は運営から手を引いた。 1964年(昭和39年)11月1日、上郷村民会館(上郷村飯沼3092番地)が落成し、図書館はその1階の3室を占めることになった。旧図書館は上郷村公民館下南分館となった。館長はこの頃、教育長の兼任であったが、1967年(昭和42年)度からは図書館運営審議会の意見を汲み、非常勤ながら専任の図書館長が置かれることとなった。それ以降、図書館は職員数・施設とも長期に渡って変えられることなく、上郷村が町制施行により1970年(昭和45年)に町立上郷図書館に改称したくらいであった。1976年(昭和51年)度の蔵書数は17,803冊、貸出冊数は4,624冊で、月1回の読書会には9団体100人が参加していた。1953年(昭和28年)に上黒田からPTA母親文庫として始まった家庭文庫はこの頃盛況で、51団体148人が活動し、年間約700冊が回覧された。図書館の重点目標は、基本図書・郷土資料の充実とレファレンスの徹底であり、特に後者は1人で対応するには限界があったが、図書館の役割を果たすためにも重要視されていた。この頃、有線放送を使って図書館の紹介を行う、という取り組みを行っていた。
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