表現方法について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
一茶は独特な表現方法、題材の選び方から在世中から「一茶調」と呼ばれるほど、独自の俳風を押し進めたという印象が強いが、若い時期は様々な試行錯誤を繰り返しながらも主として伝統的な、芭蕉の影響が濃い句を詠んでいた。伝統的な手法においても一茶の力量は決して低いものではなく、当時の俳人の中では有数の実力を持っていたと考えられる。享和年間以降、一茶はその独特な表現方法を意欲的に開拓していき、「七番日記」の執筆が始まった文化年間後期以降、「一茶調」は確立した。なお、一茶調が確立されたと考えられる文化年間後期以降も、伝統的な手法で詠まれた高水準の叙景句が見られる。 涼しさや糊のかわかぬ小行燈(こあんどん) 文政2年(1819年)、一茶57歳の作であるこの句には「新家賀」との詞書が付けられており、いわゆる新築祝いの句である。新築間もない家にまだ糊も乾かない真新しい小行燈が置かれている情景を詠んでおり、優れた叙景句であるとともに、新築の家の気持ちよさが伝わってくる句でもある。 一茶の句の表現方法で目立つ特徴として挙げられるのが、擬声語、擬態語、擬音語、いわゆるオノマトペの多用である。一茶は享和年間という比較的早い時期からオノマトペを句に用いている。文化年間以降、しばしば用いるようになり、文化7年(1810年)の七番日記開始以降、自由自在に使っていくようになった。 雪とけてくりくりしたる月夜かな くりくりという擬態語からうるおいが感じられ、また雪解けの春の月夜の喜びを伝えるのに大きな役目を果たしている句である。 俗語や、糞尿などといった尾籠な題材も一茶はしばしば用いた。 屁くらべがまた始まるぞ冬籠り 冬、どか雪に閉じこめられるようになり、また室内で屁くらべが始まってしまうという情景を詠んだ句である。 擬人法は、一茶の句の中で最もしばしば見られる表現である。一茶の擬人法は小動物、植物、はては雲や星といった無生物まで対象としている。やはり文化年間からその使用が目立つようになり、やはり七番日記以降、盛んに用いるようになった。 一茶の句の中には金銭を詠んだ句が多いのも特徴のひとつに挙げられている。一茶が生きていた江戸時代後期、基本的に俳諧は金銭を詠まないしきたりであった。花鳥風月ではなく、人生のありのままの姿を表現することを重んじる一茶はそのようなしきたりに拘ることなく、自らが関心を持つ金銭を積極的に句に詠み込んだ。 木がらしや二十四文の遊女小屋 吹きさらしの木枯らしの中に建つ、二十四文で体を売る最下等の遊女たちの粗末な小屋掛けの光景を詠んだこの句は、二十四文という金額が過酷な現実をより切実に表している。 オノマトペや俗語、擬人法の多用、当時俳句には用いないしきたりであった金銭を詠むなど、当時の俳句では大胆といえる表現方法を積極的に用いた一茶であったが、季語を欠く無季の句や、五・七・五を大きく崩した破調の句の数は少ない。このように俳句の伝統的な決まりごとに忠実な一面もあった。 しかし一茶は当時の俳壇の主流であった季題に基づいて句を詠む、いわゆる季題趣味に従うことは無かった。むしろ安易な季題趣味に反発するような句をしばしば詠んでいた。 おらが世やそこらの草も餅になる 一茶がこの句の前書きとして「花をめで月にかなしむは雲の上人のことにして」と、記している色紙が残されている。生活苦に代表される様々な人生の苦闘を体験してきた一茶にとって、花鳥風月を愛でて句に詠むような風雅など無縁のものであった。この句のテーマは食べていくこと、そして生きていくことである。一茶も花鳥風月の美しさを句に詠み込むことは皆無ではなかった。しかし一茶の詠みぶりはあくまで人間生活の一こまとしてのものであって、花鳥風月の美しさを主題とする伝統的な手法からはかけ離れたものであった。
※この「表現方法について」の解説は、「小林一茶」の解説の一部です。
「表現方法について」を含む「小林一茶」の記事については、「小林一茶」の概要を参照ください。
- 表現方法についてのページへのリンク