虐殺の後とは? わかりやすく解説

虐殺の後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:05 UTC 版)

チェリーバレー虐殺」の記事における「虐殺の後」の解説

翌朝バトラーブラント幾らかレンジャー派遣して、その破壊完成させた。襲撃隊は70人を捕虜取り、その多く女性子供だった。バトラーその内40人を逃がすことができたが、残り捕獲者の配分され交換されるまでそこに留まることになったステイシー中佐イギリス軍戦争捕虜としてナイアガラに連れて行かれた。 モホーク族酋長は(ブラント)チェリーバレーでの行動正当化するために、アメリカ軍士官宛てて、「あなた達は我々の家を焼いた。それが我々とその兄弟であるセネカインディアン怒らせたので、我々はチェリーバレーで男性女性子供達破壊した。」と記していた。セネカ族は「今後誤って告発されるようなことは無い、さもなければもう一度敵と戦うと宣言」した。この宣言後半今後慈悲を示すことを拒否する意志表れだった。バトラーは、「女性子供救おう細心の注意払い努力したにも拘わらず野蛮人怒り前に彼等犠牲になるのを防げなかった」が、襲撃の間大半時間を砦の見守り過ごしていたのも事実だった。ケベックのフレデリック・ハルディマンド総督は、バトラーがその部隊抑えられなかったことに動揺したので、バトラーとの会見拒否し、「対戦した敵が恥知らず残酷なであったとしても、このような無差別報復行えば無用恥ずべきのである彼等がそのために戦っている国王気性原則にも背くものであると書き送ったバトラーは後の書面で、この日の出来事について責任は無いと主張し続けた1778年フロンティア戦争激しくなったので、大陸軍対抗策を採った。チェリーバレーのことは、ワイオミング非戦闘員殺したという告発と共に1779年サリバン遠征立ち上げる道筋付けた。この遠征総司令官ジョージ・ワシントン将軍発令しジョン・サリバン少将遠征隊を率いた。この遠征ではニューヨーク中部西部イロコイ族領土にあった40上の集落破壊し女性子供ナイアガラ砦の避難所追いやった。しかし、これでフロンティア戦争終わらず1780年には新たに厳しさ増して再開された。

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虐殺の後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 23:32 UTC 版)

レッド川北支流の戦い」の記事における「虐殺の後」の解説

マッケンジー奇襲作戦成功してから間もなくコマンチ戦士のモウウェイとパラオクーム(ブル・ベア)らのバンドウィチタにあるBIAインディアン管理局)の出先機関であるインディアン代理近く移動させた。インディアン捕虜中にその家族含まれていたノコニ・コマンチの酋長ホースバックは、盗んだ家畜やクリントン・スミスを含む白人捕虜と、部族女性子供とを交換させるよう取引した。 この虐殺は「軍事行動」として正当化されアメリカ合衆国初めてコマンチェリアの心臓部コマンチ族を攻撃して成功したこととなり、リャノ・エスタカードはもはやコマンチ族が安心して暮らせる場所ではないことを示した。 さらにこの虐殺は、米軍が「野蛮なコマンチ族を保留地強制移住させよう考えるならば、彼らの生活の場を徹底破壊するべきであり、「インディアンはもはや保留地の外では生きて行けないということ証明したマッケンジー戦術ウィリアム・シャーマンが、1874年の「レッド川戦争」で、さらにこの焦土作戦徹底させる成功前例となった1874年起こったパロデュロ・キャニオンにおけるコマンチ集落へのマッケンジー攻撃と、トゥール・キャニオンにおけるコマンチ族の馬群破壊は、この戦闘そっくりそのまま写したものであった

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