フェズ‐エル‐ジェディド【Fez el Jedid】
フェズ・エル・ジェディド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:19 UTC 版)
13世紀にマリーン朝によって建設されたフェズ・エル・ジェディドは、ブー・ジュルード公園を挟んでフェズ・エル・バリの西に位置する。フェズ・エル・ジェディドの宮殿建築は残っておらず、市壁の大部分は改修されている。 1395年に改修された金曜モスクは縦54m・横34mで、礼拝所は伝統的なT字型の構造になっている。回廊に囲まれたモスクの中庭は、アルジェリアのトレムセンのモスクに着想を得たものだと考えられている。1886年にはイタリアの使節団によって旧ミシュワール地区に建設された武器工場は、輸出用のモロッコ絨毯の工場に改修されている。 15世紀にユダヤ人の居住区域であるメッラーフがフェズ・エル・ジェディドに建設されるとフェズ・エル・バリに住んでいたユダヤ教徒の多くはメッラーフに移住し、1465年に起きたマリーン朝を滅亡させたフェズの住民反乱とそれに伴うユダヤ教徒の虐殺の後、フェズ・エル・バリに残っていたユダヤ教徒のほとんどがメッラーフに移った。時代が経つにつれてメッラーフのユダヤ人のほとんどは国外に移住したため、メッラーフに住むユダヤ人は非常に少なくなり、往時は5つあったシナゴーグも1つに減った。ユダヤ人が去った後もメッラーフには凝った造りの木のバルコニーや新古典主義様式の列柱が立ち並ぶファサードを備えた邸宅、20世紀初頭の建築様式によるビルが残る。メッラーフ南の斜面にはユダヤ人の墓地があり、時にはメッラーフを出た人間も墓参りに訪れる。
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