虐殺を巡る白人側の議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 10:22 UTC 版)
「ウォシタ川の戦い」の記事における「虐殺を巡る白人側の議論」の解説
12月の初めから、この攻撃の正否は新聞紙上で議論され始め、12月9日の「レブンワース・イブニング・ブレティン」では、「インディアン平和委員会」のS・サンフォードとタッパン各将軍、およびテイラー大佐らが「先のインディアンに対する戦闘は、単に新しい指定保留地に移動途中だった友好的なインディアンの一団を襲っただけのものであるという意見で一致した」と報じた。 12月14日、「ニューヨーク・トリビューン」は、「シャイアン族とアラパホー族インディアンのための代理人ワインクープ大佐が辞表を表明した。彼はカスター中佐のこの戦闘を単なる虐殺と見なしており、ブラック・ケトルとそのバンドは友好的なインディアンであり、襲われたときは保留地に向かっているところだったと言っている。」というコメントを載せた。 斥候のジェイムズ・S・モリソンはインディアン代理人のワインクープ大佐に手紙を書き、「この攻撃で戦士達の2倍の数の子供が殺された」と告げた。コブ砦のインディアン交易業者ウィリアム・グリッフェンスタインは、「カスター中佐の第7騎兵隊がウォシタ川で友好的なインディアンを攻撃し、そのことでフィリップ・シェリダン将軍はグリッフェンスタインにインディアン準州から出て行けと命令し、戻ってきたら絞首刑にすると脅すことになったと告げた。「ニューヨーク・タイムズ」はカスターのことを「インディアンをポニーや犬並みに殺すことに加虐的な喜びを見出す」と表現し、無辜のインディアンも殺したことを仄めかす手記を出版した。
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