虐殺と戦争終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:12 UTC 版)
内戦の後半は、都市におけるテロと郊外でのゲリラ戦が中心となった。反条約派はショーン・ヘイルズなどの対立するドイル議員を暗殺した。その返答として政府は、これ以上の不法行為が続けば獄中のIRAメンバーを射殺すると発表した。結果として4人の重要人物、ローリー・オコナー、リーアム・メローズと他2名がアイルランドの4地域の代表として殺害された。戦後になって、この内戦中に政府は77名の逮捕者を不法に殺害したことが明らかとなっている。それに加え、自由国軍は激戦が続いたケリー県を中心に捕虜の処刑を行っていた。最も陰惨な例では、Ballyseedyにおいて9人の捕虜が地雷に固定され、爆死しなかった者に機関銃を浴びせたとされている。 反条約派は民衆の支援を得られず、ゲリラ戦を散発的に行うことしかできなかった。内戦直後に行われた1923年総選挙でも、反条約派にはわずかな支持しか集まっていない。アイルランド社会に大きな影響力を持つカトリック教会も自由国政府を支持し、反条約派に属する兵士に対する秘跡の授与を拒否している。反条約派の敗戦が確実になると、デ・ヴァレラは休戦を求め、1923年5月にゲリラに対して武器を捨てるように呼びかけた。反条約派の強硬派であったリーアム・リンチがウォーターフォード県ノックミールダウンでの戦闘で死亡し、より現実主義的なフランク・エイケン(英語版)の影響力が強まったことも、戦闘の中止を促進した。その後数週間でデ・ヴァレラを含む数千人の反条約派メンバーが逮捕され、内戦は一応の終結を見た。
※この「虐殺と戦争終結」の解説は、「アイルランド内戦」の解説の一部です。
「虐殺と戦争終結」を含む「アイルランド内戦」の記事については、「アイルランド内戦」の概要を参照ください。
- 虐殺と戦争終結のページへのリンク