薬食としての人肉食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:53 UTC 版)
「日本の獣肉食の歴史」も参照 人間の内臓が、民間薬として食されていたという記録がある。 江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し斬りすることを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。当時の人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売却で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている。 明治3年(1870年)4月15日付けで、明治政府が「刑余ノ骸ヲ以テ刀剣ヲ試ミ及人胆霊天蓋等密売ヲ厳禁ス」と、人肝・霊天蓋(脳髄)・陰茎の密売を厳禁する弁官布告を行っている。しかし闇売買は依然続いたらしく、『東京日日新聞』でたびたび事件として立件、報道されている。作家の長谷川時雨は『旧聞日本橋』で明治中期の話として「肺病には死人の水-火葬した人の、骨壺の底にたまった水を飲ませるといいんだが…これは脳みその焼いたのだよ」と、「霊薬」の包みを見せられて真っ青になった体験を記している。1902年(明治35年)に発生した臀肉事件は、ハンセン病の治療目的で、被害者の臀部の肉を材料としたスープが作られている。 中沢啓治の自伝的漫画『はだしのゲン』には、日本への原子爆弾投下直後から、被災地では「人骨を粉末状にしたものが放射線障害に効く」という迷信が信じられていたという描写がある。 昭和40年代までは、日本各地で、「万病に効く」という伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして肝臓を摘出し、黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせ、のちに逮捕されていたことが新聞で報道されている。 このように人間の内臓が薬として利用されていたことについては、未だ明らかにされてはいないが、曲直瀬玄朔は医学書『日用食性』の中で、獣肉を羹、煮物、膾、干し肉として食すれば様々な病気を治すと解説しており、肉食が薬事とみなされていたことを示しているし、また漢方においては、熊の胆は胆石、胆嚢炎、胃潰瘍の鎮痛、鎮静に著効があると言われ、金と同程度の価値がある高価な薬品だった。江戸中期の古方派医師後藤艮山は、熊胆丸を処方して手広く売り出したと言われる。また中国からこのような薬学的な考えが伝わったともされる。
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