薩摩藩陰謀説とは? わかりやすく解説

薩摩藩陰謀説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:05 UTC 版)

近江屋事件」の記事における「薩摩藩陰謀説」の解説

西郷隆盛大久保利通らを中心とする薩摩藩内の武力倒幕派による陰謀だとする説。 松平春嶽事件翌日松平茂昭にあてた書状で、龍馬中岡暗殺されたことについて福岡孝弟話しているうちに、政治情勢から「土藩(土佐藩尽力ニより藩(薩摩藩)の姦策已に破れた形勢ナリ」と記している。木村幸比古はこれを春嶽と福岡が、薩摩藩犯行だと思っていたことを示すとしている。また『改定肥後藩国事史料』巻七には「坂本害し候も薩人なるべく候こと」と、薩摩藩の関与を伺わせる風聞流れていたことが記されている。 国際法学者蜷川新は、昭和9年4月歴史公論』において、薩摩藩龍馬暗殺関与したことを唱えた昭和27年1952年)に出版した維新正観』では次のような証言紹介している。維新史料編纂係植村澄三郎から聞いた話として「中島信行近江屋女中尋ねると、暗殺犯たちの言葉たしかに鹿児島弁の節があった」というものである。ただし、当時中島いろは丸の件で長崎におり、現場駆け付けるのは不可能だった上に、植村史料も見つかっていない。 薩摩藩説の動機取り上げられるものは、松平春嶽勝海舟から影響受けた龍馬諸侯会議による新政府設立説いており、大政奉還受け入れた徳川慶喜をそこに含めることを想定していた。そのため、武力倒幕と旧権力排除目指していた西郷隆盛と、新体制へ穏健な移行説いていた坂本との間に、慶喜処遇をめぐる意見の相違生じた。そのため大政奉還派である龍馬が邪魔になったというものである。この武力倒幕派暗躍という説は、佐々木多門書状などがある。 この説は実行犯見廻組とした場合でも、薩摩藩情報与えるか、指示をしたという線で唱えられる今井信郎西郷によって助けられたという風聞当時あり、また今井自身西南戦争西郷救援向かおうとしたという、今井息子証言がある。 しかし、龍馬自身幕府大目付である永井尚志談合するなど憚りのない行動取っており、それを周囲警告されているような状態では、たとえそのような情報無くとも京都見廻組龍馬所在難なく突き止められであろう考えられるまた、中岡慎太郎武力倒幕派であり、薩摩藩家老である小松清廉大政奉還慶喜迫っているなど様々な矛盾生じる。そのため、大政奉還路線武力倒幕路線対立必要以上に強調しすぎたきらいがあるというのが、歴史学上でおおむね統一した見解となっている。 映画やテレビ小説などではこの説を採用することも多い。特に、NHK大河ドラマでは、1974年の『勝海舟』で大久保利通坂本暗殺黒幕として描いて以来、この説を採用することが多くなっている。

※この「薩摩藩陰謀説」の解説は、「近江屋事件」の解説の一部です。
「薩摩藩陰謀説」を含む「近江屋事件」の記事については、「近江屋事件」の概要を参照ください。

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