薩摩藩邸焼き討ち事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 01:33 UTC 版)
1867年(慶応3年)12月9日の王政復古の大号令の後に、西郷は益満休之助や伊牟田尚平を江戸に派遣し、芝三田の薩摩藩邸に浪人を集めて、江戸市中の治安を攪乱させた。庄内藩は、江戸の警備組織新徴組を預かり、江戸市中の警備を担当していた。そのため、薩摩藩邸の浪人と庄内藩士は対立し、浪人が庄内藩邸に発砲する事件が発生した。そして、同年12月25日に庄内藩を中心とする旧幕府側が薩摩藩邸を焼き討ちする事件に発展した。
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