著作権問題の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 05:59 UTC 版)
「宇宙空母ギャラクティカ」の記事における「著作権問題の経緯」の解説
グレン・A・ラーソンは1969年、終了した『スタートレック(宇宙大作戦)』の後継テレビシリーズとして『Adam's Ark』という作品の企画書を作成する。これは人類の祖先が数万光年の彼方に存在し、遥かなる地球を目指すという、旧約聖書の『出エジプト記』を基にしたストーリーだった。1977年、20世紀フォックスの『スター・ウォーズ』が大ヒットすると、ユニヴァーサルがテレビドラマ版SF戦争物の企画を募集し始めた。ラーソンは早速『Adam's Ark』を『Star Worlds』と改題、冒頭に日本軍の真珠湾攻撃にヒントを得た戦闘シーンを加えて派手な第1話とし、以後を人類の生き残りによる宇宙探検という形に物語を整理し、企画書を提出した。 ラーソンは『スタートレック』の創始者ジーン・ロッデンベリーと『スター・ウォーズ』の監督ジョージ・ルーカスのやり方を徹底的に模倣し、『スター・ウォーズ』同様、事前にノベライゼーションを出版する手法をとった。この時点ではサイロンは機械人間ではなくヒューマノイドの知的生命体であり、小説版もそのように書かれている。 ユニヴァーサルは視覚効果について『スター・ウォーズ』に匹敵するレベルを目指すため、同作品でアカデミー賞を受賞したジョン・ダイクストラを抜擢した。しかし、ダイクストラは『スター・ウォーズ』の製作中からジョージ・ルーカスと、スケジューリングやVFXの完成度をめぐって対立していたうえ、ルーカスが『スター・ウォーズ』用に自費で立ち上げた特撮工房ILMのダイクストラ・フレックス(モーションコントロール・カメラシステムの元祖)をダイクストラが以後の仕事に流用するなどしたため、ルーカス側との間に緊張関係が生じていた。ルーカスが『アメリカン・グラフィティ』の扱いをめぐりユニヴァーサルと袂を分かっていた事も事態をややこしくした。 フォックスとユニヴァーサルは水面下で協議し『Star Worlds』のタイトルを取り下げることで合意に至った。こうして『宇宙空母ギャラクティカ』として3時間のパイロット版が完成し、ラーソンは試写を開きルーカスを招いた。ルーカスが何も言わなかったため、ラーソンはマスコミに「ルーカスも満足していた」と発表したが、ルーカスはこれに激怒、「決して認めたものではない」と発言した。フォックスは『スター・ウォーズ』の続編『帝国の逆襲』の配給権を失う事を恐れ、以前のユニヴァーサルとの約束を反故にしルーカスの意見に全面的に賛成して、著作権侵害でユニヴァーサルを訴えた。これにユニヴァーサルも反訴し、知的財産まで範囲を拡大し訴訟合戦が始まった。『ギャラクティカ』の玩具で子供が死亡する事故が起きた時、ルーカスは「自分の作品だと誤解した視聴者から苦情が寄せられた」と公表した。 フォックスの訴えは退けられたが訴訟の影響は業界全体に波及し、1980年にディノ・デ・ラウレンティスにより製作された『フラッシュ・ゴードン』は、ILMにVFXを発注していた事もあり、日本を含むいくつかの国の配給権は本来のユニヴァーサルから20世紀フォックスに移さざるを得なくなった。冒頭はユニヴァーサルのロゴ風の地球が映るカットがあり、このロゴから本編に繋がる予定だったが、配給の違う国を考慮してそうしたリンクは編集時に切り捨てられた。『宇宙空母ギャラクティカ』自体もTVシリーズとしては短命に終わったうえに、幾度かの再編集映画版や続編を製作するもルーカス・フィルムの業界影響力下で尻すぼみにならざるをえなかった。ただし、訴訟の結果を受けて著作権問題自体は解決しており、21世紀の『ギャラクティカ』製作につながる。ルーカスとユニヴァーサルの関係も、スティーヴン・スピルバーグが監督した『ジュラシック・パーク』のVFXをILMが受け持った事で改善に向かった。ルーカスの『ギャラクティカ』への対抗意識は失われておらず、従来はアニメでしか展開しなかった『スター・ウォーズ』の実写版TVシリーズ製作の意思がある事を『シスの復讐』公開後に発表した。
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