脱北者の亡命ルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 07:13 UTC 版)
兵士の一部には38度線(軍事境界線)を直接越境するものもいるが、衛兵や高圧電線、地雷原に阻まれ、途中で命を落とす事が多いため、決して主流ではない。漁船での集団亡命も朝鮮戦争直後は数多く行われていたが、長く姿を消していた。 主なルートは、中華人民共和国への脱出が多いとされる。中国と北朝鮮の国境には、国境警備兵と呼ばれる兵士がかなりの数で見張っているが、大半の兵士は自身も生活が苦しいので賄賂などを渡したり、あるいは彼らの目を盗んで脱出する者が多いとされる。大抵は川幅が狭く、冬季に凍結する豆満江(図們江)を渡り、延辺朝鮮族自治州の朝鮮族に匿われる。 しかし中国当局は北朝鮮との外交関係を重視して、脱北者を難民とは認めておらず、発見次第不法入国者として北朝鮮に送還する協定を両国で結んでおり、これにより脱北者は中国内では潜伏生活を送る。摘発され、北朝鮮に送り返されると、初犯の場合は労働や思想改造などの処置を受け、再犯では死刑となる場合もあると語られている。 うまく中国への潜入に成功した者の中の一部は、韓国などから支援があったり、各国大使館や外国人学校などに逃げ込み、助けを求める(外国メディアはこれを「劇場型亡命」と名づけた)。その後、多くが同胞の韓国に亡命する。 モンゴル経由の亡命もあったが、近年は国境付近での中国側の摘発が厳しくなっており、中国には長く潜伏せずに通過し、東南アジア経由(ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー等)やカザフスタン経由で第三国に亡命する人が増えている。 他にも船を使い、黄海または日本海を通って韓国や日本に向かうルートがある。ただし、韓国へ行く場合は海軍の厳しい警備を潜り抜けなければならず、日本へ行く場合は波の荒い日本海を越えなければならない(特に冬季と、日本海を台風や発達した低気圧が通過している時)。また、脱北の意思がない者でも、船が故障するなどして韓国や日本に漂着するケースがある。中国船で出港し、黄海で協力者の韓国船に乗り換えて韓国に亡命するケースも複数見られる。さらには、韓国軍の警備をすり抜けて韓国の仁川広域市まで泳ぎ、民家に駆け込むケースもある。 なお、脱北者を支援する団体が韓国、日本をはじめ西欧にもいくつか存在し、代表的なものは北朝鮮難民救援基金である。彼らは脱北者と接触し、大使館や外国人学校への駆け込みを準備する一方、その様子をビデオカメラで撮影し、韓国や海外メディアに提供することが多い。この動きに警戒感を示しているのは中国の公安当局で、中国内で活動する支援団体を次々と摘発している。 2006年5月には韓国籍を取得した脱北者がアメリカで初めて「政治亡命」を認められた。韓国政府に政治的弾圧を受けたと主張する脱北者は他にもおり、今後の動向が注目されている。 チベット、ウイグル、台湾、香港、ロシア、インド、パキスタン、ネパール、ブータン、キルギス、フィリピンに亡命した脱北者は非常に少ない。
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