脱北と韓国への亡命
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イギリス駐在公使であった2016年8月17日に、韓国入りし亡命した事が確認された。公使は大使に次ぐ序列で、脱北した外交官の中では最高位級である。脱北前まではイギリス駐在の北朝鮮大使館公使で、当時の玄鶴峰大使に次ぐ駐英北朝鮮大使館内で序列2位だった。1996年に脱北したザンビア駐在の北朝鮮大使館書記官だったヒョン・ソンイルとともに北朝鮮外務省でも有数のヨーロッパの専門家である。また、大使館内の朝鮮労働党の責任者である「細胞秘書(書記)」で、外交官とその家族の思想教育業務まで管轄した。イギリスのメディアによると、太永浩の亡命には、イギリスやアメリカ合衆国の諜報機関が深く関わっており、イギリスからドイツのアメリカ空軍ラムシュタイン空軍基地を経由して、韓国へ亡命したことが知られている。 2016年12月23日から調査期間が終り、正式に韓国での社会活動を始めた。2016年12月韓国与野党の国防委議員との会見で、北朝鮮の継続的な身辺の脅威にもかかわらず、朝鮮半島の統一のために、対外活動を積極的に展開することを明らかにした。 これと関連して、北朝鮮から、自分のことを資金横領などの犯罪を犯して処罰を恐れて逃走したと非難していることは全く事実ではなく、自分の亡命に北朝鮮側がそのような話をすることに備えて、あらかじめ大使館内の資金の状況を文書にまとめ、それを写真に撮影しておいたと述べた。 12月23日、最初の公式日程として、国会情報委員会に出席した彼は、朴槿恵政権批判デモ(キャンドル集会)について、韓国の民主主義が保障されているいうことを感じたという。また、崔順実ゲート事件に関連した政治的混乱にもかかわらず、国家システムが正常に機能していることと、国会聴聞会というものが存在するという事実に、衝撃を受けたという。 2017年から、国家情報院傘下の研究機関である国家安全保障戦略研究院所属で活動していることが知られている。また、同年訪米。11月1日、アメリカ合衆国下院、外交委員会の公聴会に出席。北朝鮮の体制などに関して証言を行った。 2020年2月27日、未来統合党は同年4月の第21代総選挙に太永浩がソウル・江南甲区から、北朝鮮の住民を救うという意味で住民登録名の「太救民」(テ・グミン)として立候補することを発表した。なお、北朝鮮の宣伝媒体「メアリ」は立候補した太永浩を、酷い言葉を使って強く批判した。与党共に民主党候補の金星坤と議席を争い、選挙戦中「皆さんの一票は、金正恩の核兵器よりも力がある」と訴え、支持者からは「韓国を守ることができる人だ」との声が上がった。 4月15日の選挙の結果、金星坤を大きく引き離す得票を得て国会議員に当選。脱北者が比例代表で当選した事例はあるが、小選挙区で当選したのは太がはじめてだった。
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