国会議員に当選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:12 UTC 版)
「ヨーゼフ・ゲッベルス」の記事における「国会議員に当選」の解説
ゲッベルスは1928年5月の国会選挙にナチ党の候補として出馬することになった。しかし依然として党の急進派には反議会主義の立場から国会選挙に参加することに反対する者が多かったので、ゲッベルスは選挙参加は日和見主義に走ったことを意味しない旨を訴えて党員の説得にあたった。それが4月30日付けの『デア・アングリフ』に掲載されたゲッベルスの抱負だった。「我々が国会に入るのは、民主主義の兵器庫の中で民主主義自身の武器を我らの物とするためである。我々が国会議員になるのは、ヴァイマル的な物の考え方を、その考え方そのものの助けで麻痺させるためである。(中略)我々は友人として乗り込むのでも中立者としてやって来るわけでもない。我々は敵として乗り込むのだ。羊の群れが狼に襲い掛かるように我々は乗り込むのだ。」。 ナチ党はこの選挙で70万票を得、12議席を獲得した。ゲッベルスは当選者の一人であった(他にナチ党からはヘルマン・ゲーリング、グレゴール・シュトラッサー、ヴィルヘルム・フリック、フランツ・フォン・エップ、ゴットフリート・フェーダー等が当選)。当選後の5月21日にゲッベルスは『デア・アングリフ』で次のように語った。「私は国会議員ではない。私はIDI(国会議員不可侵権)とIDF(無料乗車権)の所有者にすぎない。IDIの所有者とは、この民主的共和政府の下にあっても、時には真実を語ることを許されている人間のことである。彼は頭で考えたことをそのまま口に出して言うことを許されている点で他の人間と異なる。彼は糞の山は糞の山と正直に言い、それを遠回しに政府などとは呼ばない。」「たとえば『シュトレーゼマン氏(時の首相)がフリーメイソンであり、あるユダヤ人夫人と結婚しているというのは事実に合致しているでしょうか』という質問ができる」「これはほんの序の口にすぎない。これから我々がどんな面白いショーをお見せするか、大いにご期待を請う。ショーは始まったばかりだ」 しかしこの選挙は全体としては中道政党や保守・右翼政党が伸び悩んで左翼政党の大勝に終わった。オットー・シュトラッサーは「『国家社会主義の救済使命』が大衆的反響を見出さなかった。とりわけプロレタリア層への浸透が図られなかった」と嘆いた。一方ヒトラーは中道政党が軒並み没落し、社民党や共産党のような左翼政党が議席を伸ばしたことは労働者層が現体制に不満を持っている表れと見て前向きに評価した。 ゲッベルスも今回の選挙で左翼に投票した労働者層をナチ党に取り込むことができるか否かが今後の鍵であると心得、1928年夏中、労働者層向けの訴えかけを盛んに行った。「資本主義国の労働者はもはや生きた人間でも、独創者でも、創造者でもない。彼は機械に変えられてしまっている。一つの数字であり、良識も目的も持たない工場内のロボットである」「国家社会主義のみが彼に尊厳をもたらし、彼の生活を有意義なものにする」こうした左翼と見間違うような論文を次々と『デア・アングリフ』に掲載していった。
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