脇役女優としてとは? わかりやすく解説

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脇役女優として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 14:30 UTC 版)

真山くみ子」の記事における「脇役女優として」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了後初め出演した映画は、翌1946年昭和21年1月10日公開され田中重雄監督の『幾山河』、主演作であった同作終戦後映画配給始めた大映配給した作品であったが、本作をもって大映退社した以降、真山は3年ブランク経て1949年昭和24年3月1日公開された、芸研プロダクション製作、クラタ・フミンド監督の『殿様ホテル』でふたたびスクリーン登場した。真山は満32になっていた。1950年昭和25年10月28日公開された、大映時代の『結婚命令』(1943年以来7年ぶりの顔合わせの沼波功雄監督オムニバス映画東京十夜』では、おなじ日活多摩川撮影所出身あり、かつて新興キネマ東京撮影所での『脱線令嬢』(監督曽根千晴1937年)でフィアンセ役で共演して以来、『たのしき今宵』(監督伊奈精一1938年)、『乙女ごころ』(同)、『結婚真剣勝負』(監督沼波功雄同年)等、共演作も多かった立松晃と、ふたたび共演している。この時期は、伊賀山正徳原千秋といった、かつての新興キネマ東京撮影所当時の太泉スタジオ)と関係のあった監督と、少な仕事をしていたが、『東京十夜』が最後主演作となった1953年昭和28年12月28日公開された、斎藤寅次郎監督の『初笑い寛永御前試合以降は、新東宝中心に脇役俳優として母親役等を大いこなした1955年昭和30年)からは新東宝専属となり、1957年昭和32年)からはテレビ映画にも進出した1958年昭和33年1月26日公開され石井輝男監督の『天城心中 天国に結ぶ恋』では、前年暮れ起きたばかりの「天城山心中」を扱う物語のなかで、嵯峨浩にあたる「王氏夫人・治子」の役を演じた新東宝での出演は、1960年昭和35年1月23日公開された、小林悟監督の『危険な誘惑』が最後になり、同年退社した。 『芸能人物事明治大正昭和』には、1963年昭和38年4月14日公開された、近江俊郎監督の『その結婚異議あり』に出演後、引退したように記されているが、同年夏から秋にかけて、テレビ映画『愛より愛へ』に出演している。確かにテレビ出演もそれが最後になり、1964年昭和39年以降は、当時盛んであった成人映画いわゆるピンク映画に、母親役等で出演をするようになった三田浩が代表取締役務め東京企画製作の作品中心に出演した。満52歳になり、1968年昭和43年10月公開され沢賢介監督成人映画『夜の寄生虫』(『寄生虫』)に出演して以降は、活動の記録がみられなくなった同作以降引退したものとされ、以降消息不明である。存命であれば、満105歳の高齢である。

※この「脇役女優として」の解説は、「真山くみ子」の解説の一部です。
「脇役女優として」を含む「真山くみ子」の記事については、「真山くみ子」の概要を参照ください。

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